HOME


 Coopers Town

野球博物館のあるクーパースタウンという街に行って来ました。

NYから400kmぐらい離れた田舎です。 湖のほとりの小さい街ですがとてもきれいな所です。

そこは野球発祥の地であり、野球博物館があります。

また小さな古い球場があります。 日本の高校野球の予選で使うような地方球場みたいですね。

 

でもそこでは年に1回だけ 野球の殿堂入りが発表される日に本物の大リーグが来て公式戦をします。

下のような正式な球場からみれば草野球みたいな場所ですが、そんなところで公式戦が行われるのですよ。歴史に敬意を払う大リーグらしい一面です。

 

 

まわりには野球カードやみやげ物やがたくさんあります。 さすがに日本のカードは無かった。今、王のカードは一万円するらしいですよ。 子供の頃は20枚ぐらい持っていたんだけど、どこかにいってしまった。 

これがクーパースタウンです。森深くと湖のほとりにある町です。

 

ニューヨークから300km、東京から岩手県花巻ぐらいの距離があります。

クーパースタウンは観光地の1つの理想的な姿です。 野球博物館という低コストな呼び物で観光客を集めています。 大資本のホテルはなく、地元の小さなホテルしかありません。

でかでかとした建物が無いので湖の景観が損なわれません。 また観光客もそれほど多くなく、道路が渋滞して住民が 迷惑することはありません。

それでいて観光客はけっこう満足して帰ります。

山中湖と比較しては間違いか。

日本の地方も工夫次第では低コストでも観光客は呼べるのでは ないでしょうか。 比較するなら尾道かな。 あそこは映画のロケ地で有名になりましたね。

また日本の野球博物館は後楽園にありますが、 何でも東京に作るのではなくて地方に持って行くべきですね。 でも、あれは読売の息がかかっているからそうもいかないか。 

 


野球博物館 Hall of Fame

野球博物館のなかで野球を紹介する映画では野茂が真ん中にドカーンと出てきます。立派にスター扱い。95年のドジャースを代表する選手にも選ばれてます。また、阪急の山森が外野フェンスにかけ登ってホームランボールをキャッチしたシーンでは歓声が周りから沸きました。 

「ハンク.アーロンの部屋」 では王の写真が小さく飾られてます。

戦争と野球の関連を示した部屋があります。そこでは戦争の悲惨さを訴えるよりも、出兵した選手を称えており、戦争賛美的な色合いが濃いです(ここは国立博物館だからね)。ここが最も日本と違うところでしょう。


 アメリカと軍事 Remenber Parl Harberはまだ生きている

やはりアメリカでは軍事色はいたる所にあります。TVではArmy, NavyのリクルートのCMを行っているし、入場料で兵隊割引がよくあります。 Philadelphia Phillies の球場名は退役軍人スタジアム( Veteran's Stadium)。  

Coopers Townにいった次の日は NY州の Rochesterのそばで航空ショーを見ました。アメリカ,カナダ軍共同主催です。第一次大戦のプロペラ機に始まり,落下傘部隊やF16,F18などの新鋭戦闘機、 なんとステルスまで飛んできました。 あの形はこの世の飛行機とは思えない。

圧巻はゼロ戦8機とB17とアメリカの戦闘機で真珠湾を再現したところです。その名も「トラ!トラ!トラ!」。

ショーの舞台である飛行場にハワイアンミュージックが流れる中、ゼロ戦編隊が飛んできます。 そして爆撃。

本物の爆弾は落としませんが、飛行場にあらかじめ爆薬をしかけておいて爆破させます。飛行機と機関銃と爆弾の爆音が響き渡り、猛煙の中、ゼロ戦が次々と飛来して爆撃を繰り返します。

それをアナウンス付きで 延々と20分近くも演じるのです。 ここまでしなくてもいいだろう、と思うくらい怖い。恐怖。いったい周りのアメリカ人はどういう気持ちで見ているのだろう。

もしここで「お前は日本人か」と周りから聞かれたら 中国人と答えようと思いましたよ。

もし日本で自衛隊が東京大空襲やヒロシマをショーで演じたら世間は何と言いでしょうか。それをやってしまうところがアメリカ人の無神経というか、おおらかさというか。

しかも敵をやっつける所ではなくて、自分たちがやられる所を再現するのはどういう意味か?アメリカ,カナダ軍共同主催ですから、「アメリカだって敵襲されたことはあるんだ、だから軍費は必要だ。」と言いたいのかもしれません。

戦争に勝ったアメリカですら臥薪嘗胆、勝って兜の緒をしめよ。 逆に日本は「嫌なことは忘れてしまえ。」


臥薪嘗胆、とは

臥薪とは、薪(まき)の上に寝転がること。嘗胆とはキモ(内臓)をなめることです。どちらも苦しいことのたとえです。  

中国の戦国時代末期、呉国は越国と戦って敗れ、呉王は敗死。 後を継いで王となった夫差は父の無念を忘れないようにその日から薪の上で寝て、毎日痛みを感じることで越王(名前は勾践)への恨みを新たにしました。 数年後、痛みに耐え忍んで鋭気を養った呉王夫差の軍は越王の軍を打ち破りました。

越王勾践は処刑されそうなところ、呉の王族に大量の財宝を送り助命の活動をし、さらに講話の条件として越王勾践自身が呉王夫差の奴隷になるという屈辱的な条件までだしました。これが功を奏し呉王夫差は越王勾践を許しました。

今度は逆に復讐に燃える立場になった越王勾践は、呉王夫差に受けた屈辱を忘れないために部屋に獣の肝をつるし、毎日それをなめ、肝の苦さを味わうたびに復讐の気持ちを思い出しました。

その20年ほど後、力を蓄えた越王勾践は再び呉の軍に打ち勝ち、呉王夫差は自害して果てました。このようにして再度の復讐は成し遂げられたのです。


HOME