雇用の確保とワークシェアリングと非物質産業

 

 

前提

  • お金は社会の血液であり、社会全体に行き渡る必要がある。
  • 景気が良いと血液はフル回転して、弱い立場の人にも回ってくるが、景気が悪くなると弱い立場の人から血液が回らなくなる。すると社会不安が増える。
  • 社会的にみれば、社会全体にお金が行き渡るならGDPが低くてもよい。GDPが高くても一部の人だけにお金が回るのでは良い社会ではない。
  • お金は労働で稼ぐべきであり、政府が無意味に配給してはならない。

結論

  • 全員が労働を分け合い、賃金を分け合うのが良い社会である。一部の人が仕事とお金を独占する社会は良くない。
  • 現在は、モノは余って時間が不足な時代。
  • 仕事を分け合って、自由時間を増やそう。
  • 自由時間を教育にあてて教育産業を興そう。その雇用が物質産業の余剰人員を吸収する。

生産過剰な時代

日本人の生産性が30年前の16倍、一方、消費は8倍だそうで、つまり今は2倍の生産過剰だそうです。現在、インターネットを使って更に効率的なビジネスを行おうとしています。Eビジネスとか言いますが、要は一人当たりの生産性を上げる仕組みを作ろうとしています。一人当たりの生産、一人当たりの販売を増やす目的です。商品1つあたりの利益が減ってきたので、一人一人がもっとたくさん作ることで利益を確保しようということです。

ITによって一人当たりの生産性がますます上がります。今後10年経つと、一人当たりの生産性はどこまで上がるのでしょう。その一人当たりの生産性に就労人口を掛け算すると、膨大な生産量になります。ますます生産過剰です。

現在、中国でも生産過剰なようです。 掲示板に以下の投稿がありました。

競争のためにテレビの値段は今年の夏よりも20〜35%も安くなった。 開放によって誰も彼もが総合家電メーカーに変身してしまったため、 供給過剰となってしまった。 価格競争が激し過ぎたため、品物を売っても在庫が残るようになった。 エアコンは利潤率が5%未満にしかならない。 パソコンは3年前まで、1万元のものを1台売ると1000元の利益を得たが、 今では50元程度だ。 テレビは誰もが口を固く閉ざしているため、 利益が出ているのか出ていないのか分からない。

それはそうですよ。 中国だって日本の生産システムを輸入して生産すれば、 あっというまに生産過剰です。日本の最新の生産システムは30年前の16倍の生産効率です。それをどんどん買い入れて生産すれば、あっというまに生産過剰です。

中国の製品がユニクロのように日本に殺到して、 ますます日本は在庫を抱えて生産過剰になります。

この生産に見合うだけの消費はない。消費に合わせるには生産を抑える。そして生産に携わる人をリストラする。


生産者は貧乏ひま無し、消費者は安物買いの銭失い

大人は長時間労働、長時間通勤で家にいる間も無い。そんなに時間を削るのは何のためかというと、これまでは生産のためでした。。

だけど生産過剰でデフレ、価格低下を起こして1製品あたりの利益は縮小。1製品あたりの利益が縮小した分を売上の数の増加で補おうとするから、一人当たりますます生産を増やし、仕事を増やす。だから薄利多売でますます大忙し。時間不足。

多様な就業形態を模索する をみると、パートタイマの増加、正社員の減少。そして少ない正社員は長時間労働。

150万円ほどのトヨタカローラは1台売ってトヨタに一万円の利益しか出ないそうです。 だから従業員一人あたりがたくさん作らないと利益が出ない。また日本車はドイツ車に比べて安価で短寿命。寿命が短いのは消費者が流行を追う傾向にあって旧から新モデルに切り替えたがるからでもあり。でもそれはメーカの宣伝やムード作りにも依っている。ドイツ車は高価だけど長寿命。長寿命なのでユーザは1台買えば長く使える。高価なのでメーカー従業員は少数作るだけで利益が出る、労働時間も短くて済む。

日本は大量生産、大量消費、生産者は貧乏ひま無し、消費者は安物買いの銭失い。そして資源の浪費とゴミの増加。

    生産者 消費者
日本車

大量生産、大量消費

頻繁なモデルチェンジ

薄利多売で忙しい 買い替え頻繁で、安物買いで短寿命商品、
ドイツ車

少量生産、少量消費

 

厚利小売で1品をじっくり作る たまに高額品を買って長持ち

 

なんでそういうスタイルになったかというと、それが世界市場で輸出して勝つスタイルだからです。「低価格なものを大量生産、頻繁なモデルチェンジで急速な機能向上。」その輸出品が世界を席巻した。

一度は席巻して米国の自動車工場労働者を壊滅させたものでしたが、日本の生産力は強すぎるので円高になってしまい、日本の労働力は高価になってしまい、今度は日本がアジアに労働を奪われる番になってしまった。生産しすぎて円高になったのがいけない。

 


ワークホリックと失業者が同居する時代

ここ30年で1ドル360円が120円の3倍の円高になりました。海外では、以前は1ドルで買えた日本製品が3ドルします。

でもそれでは売れない。そうならず、30年前の1ドルのものを1ドルのまま売るためには、日本で360円したものをコストダウンして120円で作って海外に1ドルで売らねばなりません。そのためには、360円で1個作っていたものを360円で3個作るように生産システムを効率化しました。

3人で作っていたものを1人で作るようになります。

円高になると輸出低下して利益減。 それを効率化で乗り切ると前にも増して生産力向上する。 するとまた円高になる。 これを繰り返しているうち、1ドル360円が120円になりました。

1ドル360円の頃に比べると今の日本人は生産性を3倍あげないといけない。一人が以前の3倍の生産して販売しないと以前の稼ぎになりません。 でも、誰もが3倍上げることはできない。 3倍上がらない人は失業です。

生産性が3倍上がる人は、 他人の3倍働くからワークホリックになり、 そうでない人は失業します。

だから極端に働く人と失業増加が並存した世の中になりました。一部の人が生産と仕事を独占するようになりました。

 


貿易黒字と財政赤字が共存する日本

日本はいつも貿易黒字なのに政府の財政は赤字です。不思議だ。

それはこういうことです。つまり、輸出企業は効率化によってますます貿易黒字を上げた。しかし、前述したように効率化によって弾く出された人は失業する。

その失業者は政府の公共投資によって吸収されてきたのです。だから輸出企業が効率化によってますます貿易黒字を上げる一方で政府の財政は赤字になりました。

産業構造が今の路線を歩む限り、同じことの繰り返し。 でも政府財政も、もう限界です。


今のITでは解決しない

今のインターネットもEビジネスも、結局は一人一人がもっと効率をあげてモノを生産し、モノを売ろうとする仕組みです。それらが発達するほど生産過剰になります。つまりITに関わる人より生産現場で余る人が多くなる仕組みです。そういうコストダウンになるからこそ、企業はITを使うのですから。

あるデパート会社が10億円のITを使って在庫経費を60億円圧縮したとしましょう。裏返せば、デパート会社の先の問屋が60億円分の売上を損したことになります。全体として50億円の経済効果が減ったのです。IT産業が10人雇用して物流業界が60人解雇したでしょう。全体として雇用が50人減りました。

流通や製造が導入するITは、売れる量以上には仕入れない、作らないことを目指しています。ITも生産量を減少させるものです。ITでオークションが流行っても、インターネット通販が流行っても同じことです。特にオークションは中古品売買の増加につながり、その分の新製品生産が減少します。

このように物質生産売買の世界でITを使うことは、物質生産売買の雇用を減らすことになります。ITが物質生産売買の世界で使われる限り、ITは景気の起爆剤になりません。

ただしITは物質生産売買だけに使われているものではありません。

しかし、現在、企業が大きな予算をかけて取り組んでいるITはコスト削減目的がほとんどです。

 


物質産業の限界

つまり、生産能力はITなどでどんどん高まるが、生産物に対する需要がない時代なのです。それを無理に需要を増やそうとしている。これまでの経済路線でいけば、物質の生産と消費、それ以外に道はありませんでした。

しかし、今まで述べてきたように物質産業は需要の限界とともに、雇用の限界です。生産効率がじゅぶん高まって、以前より少ない人数で間に合うのです。

雇用は余っている。だから新しい産業が必要なのだ。

 


物質産業に変わるものは何か、教育産業

物質産業に変わるものは何か、それは教育産業である。

何も高度な習い事でなくてもいい。おばあさんの家庭料理でも、おじいさんの戦争体験談でもいいのだ。講師代は安くていい。賃金は安くてもいいから、多くの人が先生になって就労人口を増やしたほうがいい。


非物質産業は邪道か

教育産業や福祉、娯楽のような非物質産業はくだらないだろうか。産業としては邪道、脇道だろうか。 非生産的だから?モノを生産しないから? 

しかし、もはやモノは余っている。大量生産品を作る産業の労働人口は余っている時代なのだ。教育産業はモノを大量生産しない産業だからこそ、世間に受け入れられる。

工業が始まった頃の昔はこう言われただろう。

「農業こそ根幹。誰も彼もが工場で働いたら、誰が食べ物を作るのだ。食べ物無しで人は生きられない。モノ作り?服を作る? 何で大量のモノが必要なのだ。服など1年に何枚買うというのか。必要以上に買うのは無駄使いで道楽だ。誰も彼もがそんな道楽をできるはずがない。みんながせっせと食べ物を作るから世の中成り立っている。」

しかし、実際は少数の人が農業に従事するだけで米は賄えるようになった。多くの人が物質産業に従事し、モノを供給しあうことで、巡り巡って食料もみんなに分配されている。少数の人が作る食料がみんなに分配されているのだ。

それと同じように、これからは少数の人が物質産業に従事するだけで物質は賄える時代である。そこで少数の人が作った物質がみんなに分配されればよい。

今後、物質を生産しない非物質産業に多くの人が従事しても不思議ではない。

わき道にそれるが、あまりにモノ作りに夢中になって、米以外の農作物の自給率がアンバランスに悪くなった現状は改善されるべきである。米以外の農作物を作る人が増えるべきだし、商売が成り立つ為替レートや環境にすべきだ。

物質産業だって、もはやくだらない。自動車も洋服も電化製品もある程度の数以上は趣味の世界であり、嗜好品である。現状は宣伝によって物質所有欲を刺激してむりやり商品を買わせている。そして廃棄物ばかり増える。くだらないと言えばくだらない。

もはや物質は間に合っている。同じくだらないなら教育産業でもよいではないか。要は雇用が広がればいい。食料は一部の人がみんなの分を生産するようになった。物質商品もそれでよい。一部の人がみんなの分を生産すればよくて、みんなが物質産業に従事しなくてもよい。しかし余った人はどこかで雇用せねばならない。それはモノを生産しない産業になるのは必然である。


教育産業の長所

1)国内消費型である

国内消費型であり、外国の産業を荒らすことがない。教育産業は教室近郊の生徒によって消費されるものであり、いくら発達しても海外輸出して海外市場を食い荒らすことはない。逆に海外輸入に荒らされることもない。物質のように輸送船で運べるものではない。日本の自動車産業のように集中豪雨的に海外輸出することはできない。

2)職住接近の産業である

物質産業のように少数の大工場で集中生産されて全国に配送するわけにはいかない。従来の産業は遠くの工場で造られたものが消費者に送られてきたが、教育産業は生産者(教師)と消費者が近所の産業。生産される現場で消費される産地消費型の産業です。また地域密着型であり、労働者つまり教師にとっては職住接近の産業です。つまり、人口がそこそこいれば、そこに栄える産業である。大都会にオフィスを持たなくても良い。地方都市でも根付く産業である。

3)膨大な雇用

以下の仮定をすれば講師3千万人の雇用が生まれる。就労人口の30%であり、膨大な雇用が生まれる。

  • 一億人全員が3つの講座を受講する。
  • 1つの講座に先生一人で生徒10人を相手にする。

教育産業のカギは時短

教育産業が発達する最大の要員は自由時間の増加である。

物質産業では時間は消費財ではなかった。ひたすら生産するための生産財であった。サラリーマンは長時間生産し、休日に短時間で物質を購入するスタイルが要求された。

 


勉強時間が不足な時代

最近は技術の進歩が早い。ついていくには勉強しないといけない。 勉強する時間も以前より必要になった。

今の仕事だけに没頭しているうちに技術の進歩についていけなくなる。 例えば半導体の技術に没頭している間に、 日本の半導体産業が成り立たなくなって、 違う技術、たとえばインターネット技術が要求されるようになりました。 まったく違う分野です。 一つの技量だけで一生食べていくのは難しい時代です。 仕事を減らしてでも将来の勉強が必要な時代です。半導体の生産を落としてでも将来の勉強すべきだったと、 今、半導体メーカは思っていることでしょう。

半導体工場だけでなく、世間一般的に技術の進歩が早く、勉強すべきことがどんどん増えます。

ハローワークではパソコン操作講習を行なっています。 PCを扱えないと話にならないから。 習っている人は 「こんなことになるなら残業時間を減らしてでも勉強しておくのだった」と思っているでしょうね。

その反省からも教育産業は大事であり、勉強時間は大事で、 そういう時間を設けないと。

エリートは仕事しながらでも勉強時間を作るでしょう。 でも国民全員にそのスタイルは無理。 勉強時間がある生活スタイル、 目先の仕事を減らし、仕事の時間を減らしてでも勉強するスタイル。 ワークシェアリングで労働時間の短縮、および雇用の分け合いを政治が作らなければ。

さきの反省でも残業時間を減らして 勉強させる論理が企業にはないのです。 企業は社員育成を止めて、 出来る人を外部から契約委託する傾向にあります。 現状の仕事は現状の社員に頑張ってもらい、 未来の仕事はそのときに適切な人を外部から雇えばいい。 これが今の経済の論理です。


自由時間を如何に増やすか

教育産業が発達する最大の要員である、自由時間をどのように増やすか。

その一つがワークシェアリングです。

雇用人口の拡大と労働者一人当たりの労働時間を短縮。


経済の本質

経済、要は食料や物質など必要なものがみんなに行き渡ればよい。GNPが高まることが第一目的ではない。みんなに正当に行き渡ることが第一目的である。GNPが上がると景気がよくなる。景気が良いとお金の循環が活発になって、その結果、社会の細部にも雇用とお金が行き渡るようになる。だから景気が良いと歓迎されるのである。逆にいえば、社会の細部にも雇用とお金が行き渡るなら景気が悪くてもいいのだ。GNPが低くてもいいのだ。逆に、GNPが高くても一部の人だけにお金が回るのでは良い社会ではない。

かといって、政府がお金をみんなに無意味に配給してはいけない。お金は労働で稼ぐべきです。

労働は人間の能力を維持し、存在意義を与えるものである。また、お金は労働の価値に比例して与えられるべきである。

お金をみんなに行き渡らせるべきだが、お金は労働で得るものである。つまり、就労をみんなに正当に行き渡らせるということだ。つまり、GNPが低くても景気が悪くても、就労がみんなに行き渡れば良い社会といえる。

だからワークシェアリングによって少ない雇用をみんなで分け合うべきだ。就労して体を使い、頭を使っていればボケないし、生きがいも感じる。それを一部の人が独占してはいけない。みんなで分け合うべきだ。

 


政治主導しかない

経済の論理ではワークシェアリングはできません。

従業員が2倍増えれば会社に社会保険などの経費が2倍かかる。社員教育も2倍かかる。だから現状のまま、経済にまかせていてはワークシェアリングは進まない。

政治が強制的に制度を作らなければ。

 


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