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     もう大量生産の時代は終わったのだ。みんな一斉に工場のラインに並んで同時国に同じ作業を全員で行うことが労働という時代は終わったのだ。大量生産自体はまだ続くが労働者の作業は違う。機械化されて人手がかからなくなっている。日本で生産しなくなっている。そんな次の時代に金太郎飴の人間を必要とするだろうか。
     
    しかしながら日本の青少年教育環境は閉塞的である。同じ型の人間を作ることばかり。
    学校教育だけの責任ではなく、何誌あってもすべて同じ1つの流行を追い回すマスコミや現代日本の社会そのものの功罪である。
    学生のファッションがそれを証明している。強制されず自由であっても同じファッションになってしまう。人と違うことをするものをと除け者にする、いじめる。 これでは人と違う思考はなかなか持てない。
     
    ここで話は変わって、みなさんは以下の質問にどう答えるだろうか。私はこう答える。
     
     1 日本は異文化の人々とつき合いが上手か?
        Noである。  
        つい100年前に開国したばかりで今でも生活の範囲に異民族も異文化もないのだから仕方ない。しかし最近の海外における日本企業(大和銀行事件、三菱自動車事件)は日本的慣行と現地の常識とのズレが問題を大きくした原因である。
     
     2 日本はこれからますます海外とのつきあいが大事になるか?
        yes である。
        逆に海外とのつき合いが無くなっていくとしたら貿易国家日本は終わりであ る。
     
    そこで 「いろいろな個性や考え方を持った人間をつくる」 と 「異文化つきあいが上手になる」 を両立させる手がある。
     
    若者を海外に放り出すのである。
     
    若いときは友達が作りやすい。海外で友達をたくさん作って異文化を身を持って体験し、いろいろな考え方を学ぶのだ。 日本の画一的社会では得られない経験をするのだ。
    若いときに外国で1年でも暮らせば何か得るものがある。日本と外国を比較して日本の美点と欠点に気づく。日本の常識は非常識であることに気づく。
     
    具体的には3割以上の若者を海外に出して緑化活動や環境調査をさせる。これを界援隊と呼ぶ。世界を助ける隊である。 多少は強制的でもよい。徴兵制なみでもよい。しかし戦う相手は敵国ではなく環境破壊である。帰国すれば大学入試や公務員試験、教員試験、税制などの優遇措置をとる。
     
    現地で緑化活動をすれば現地の人間と協力し、時には指導せねばならない。海外で通用する指導力を実地で養うのである。
     
    かつての貿易国ベネチアは若者をどんどん海外に出して実地教育で貿易商人として育てた。それと同じである。
     
    鉄は熱いうちに打って、2階に上らせて梯子を外す。
     
    これは

    の一石5鳥の政策である。



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