笹山登生のホームページ 笹山登生の政策行動
 
 公約実現 - 緊 急 報 告 - 藤 前 干 潟 

1999年1月25日 藤前干潟の保全確定

 加筆箇所は太字
これまでの経緯  
19xx/xx/xx 公約に環境保護を掲げる。(ここは政策にリンクを飛ばすなどする。)
1998/8/10 「諌早等干潟・湿地を考える議員の会」で、私は「諌早の場合はオール・オア・ナッシングの状況で、代替案づくりが、難しかったが、藤前干潟の場合は、ゴミ減量など、複合的な代替案の処方箋を作ることが、可能なのではないか」と発言。
1998/8/27 「諫早等干潟・湿地を考える議員の会」同士や、山下弘文氏と共に、真鍋環境庁長官に面会、長官に現地を視察するよう要請し、視察を実現させた人、ものを動かしたかどうかが重要 

その席で、私は「環境庁として、いつまでも、諫早・藤前・三番瀬など個別問題に追われているのでなく、もっと、干潟・湿地の生態系ネットワークの基本戦略を早く確立すべきだ」と提言。

1998/8/30 「第2回日本干潟サミット」に出席。その席で、私は「未登録湿地をネットワーク化するための第一歩が、干潟・藤前・三番瀬などの干潟の保全だ」と強調。
1998/9/17 代々木の国立青少年センターで「藤前干潟を守るNGO集会」に参加。席上、会場のある方より、「藤前干潟問題は、公有水面埋立許可に向かって、ものすごいスピードで進んでいる。いまさら、どうしようもない」という悲観的な意見が出された。 
それに対し、私は、「そんな弱気なことではダメだ。第一、藤前の場合は、諌早の場合と異なり、まだ、公有水面埋立て許可が出てない状況ではないか。まだ、いくらでも、ゆりもどせる余地のある状況だ」と発言。
1998/10/1 「諫早等干潟・湿地を考える議員の会」で、名古屋市から現状を聴取。 
席上、私は「代替地は、つなぎ措置や、分散処理を考慮に入れれば、かなり、余地があるのではないか」と発言。 

それを受けて名古屋市は代替地探しの検討を開始した。発言したことによって生じた結果を知りたい

1998/10/13 
〜10/20 
「藤前干潟を守る会」代表・辻淳夫氏を招き、WWFの花輪氏も交え、代替案づくりに着手。 
席上、私は「代替案づくりの前提として、@ゴミ減量Aそれまでのつなぎ措置として代替地さがしBゴミ処理方法(集中か分散か)の検討の三前提を考えたい」と発言。 
1998/10/27 愛知和男先生を会長とする「ゼロ・エミッション社会を目指す議員懇談会」(以下略称「ゼロ・エミ議員懇」と呼ぶ)発足に参加。
1998/12/15 「諫早等干潟・湿地を考える議員の会」で、代替案素案提示。 
埋立回避への道筋を三段階に設定。ほぼ、私の三前提(1998/10/13参照)が取り入れられた。 

私の私案を、「諫早等干潟・湿地を考える議員の会」の会案に格上げし、より強力な影響力を持たせ、実現に向けてさらに前進。

1998/12/16 「ゼロ・エミ議員懇」に環境庁を招く。 
その席で、私は「低生生物(ベントス)を無視した人工干潟を代償措置とし、ミチゲーションをはかることは承服できない。これでは、”イミテーション・ミチゲーション”だ」と発言。 
また、環境庁に対しては「個別ケースの未登録湿地の対応に追われていてはダメだ。早急に未登録干潟湿地生態系ネットワークの構築にのりだすべきだ」と指摘。 

それを受けて環境庁はxxxを開始した。発言したことによって生じた結果を知りたい

1999/1/11 「ゼロ・エミ議員懇」愛知会長らと共に、藤前干潟を視察。 県・市より政治的調整を依頼される。 

ここに至った時点ですでに干潟保全の道筋は立ったと思われるが、
その決定打は何だったのでしょうか。
前述の何が決定打なのか、その決定打に関与したのか、記述してはどうでしょうか。
 
 

席上、私は「藤前干潟は名古屋市のみならず、愛知県全体の大切な環境資産なのだから、この際、県内関係市町村が等しく痛みを分かち合う覚悟が必要だ」と発言。 

1999/1/20 「ゼロ・エミ議員懇」愛知会長らと共に、真鍋環境庁長官に面会。 
その席で、私は「瀬戸内海審議会の答申も出され、また近々、環境重視の海岸法の改正も行われるので、環境庁としては早急に干潟・湿地についての、個別問題対応にとどまらない、恒久的保全戦略とミチゲーションの「代償措置」についての基本的考え方を構築すべきである」と提言。
1999/1/25 公約の実現 

名古屋市は、藤前干潟での埋め立てを断念する方針を固めた。 
私は、(財)日本野鳥の会等に、電文「藤前干潟保全、万歳。この勢いを他の湿地保全につなげましょう」との祝電を打電。

 

政策テーマ一覧へ