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5月31日  地方 東京都町田市::自民党:吉田つとむ氏
6月5日  地方 茨城県::公明党:井手よしひろ氏
6月5日  地方 豊田市::未調査:岡田耕一氏
6月3日  地方 佐賀県 佐賀市::自民党:亀井雄治氏
6月2日  地方 四日市::未調査:小 井 道 夫氏
6月7日  地方 富山県新湊市::自民党:菊たみお氏
5月31日  地方 山口県岩国市::未調査:渡 吉弘氏
6月4日  地方 大阪箕輪市::不明:牧野直子氏
6月6日  地方 神奈川県綾瀬市::共産党:上田ゆう子氏(未評価)の新着リンク 
6月2日  地方 東京都町田市::共産党:高嶋 均氏(未評価)の新着リンク 
6月3日  地方 神奈川厚木市::未調査:高田ひろし氏(未評価)の新着リンク 
6月4日  地方 大阪府門真市::未調査:戸田ひさよし氏(未評価)の新着リンク 
6月8日  地方 神奈川逗子市::未調査:長島一由 逗子市長氏(未評価)の新着リンク 
6月6日  地方 大阪府::未調査:西脇くにお氏(未評価)の新着リンク 
6月6日  地方 福岡県古賀市::未調査:ぬま健司氏(未評価)の新着リンク 
6月6日  地方 佐賀県知事::無所属(自民党推薦):古川康 佐賀県知事 氏(未評価)の新着リンク 

5月31日  地方 東京都町田市::自民党:吉田つとむ(評価:85点)の新着リンク 


5月31日:4109:sya

オーナー通信第48号「ペット共生、どうする?」2003年5月有限会社臼井不動産栗山隆太さん記事作成拝啓新緑の候、ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。

毎々格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。

1月〜4月の首都圏分譲マンションの販売の好調が続いているそうです。

契約率は平均で70%台を維持しており、値下がり傾向の続く中で購入可能になった「都心」物件への「回帰」がその好調を支えているとのこと。

マンション分譲各社は次々と新たな設備や付加価値を考案し、昨今の新築マンションの進歩には驚くばかりであることは以前にもお伝えしたことがあるかと存じますが、中でもここのところの各社の導入に目立つのが「ペット飼育可」のマンションです。

消費者金融のテレビCMの影響で犬を飼う事が改めてブームだそうですが、従来集合住宅ではタブーとされてきた「ペット」と「ピアノ」。

もっとも嫌われる原因はやはり「音」の問題だと思われます。

ピアノは音だけではなく壁を伝わって「響き」が発生しますので、室内に防音室を設置したり、消音できるタイプのピアノで各個人が対応してきました。

要は隣近所に聞えなければ問題ないわけです。

ところがペットは少々勝手が違います。

もちろん鳴声も騒音の一つでしょうが、それ以外にも共用部分での糞尿の問題や小さい子供等に噛み付く危険性などがあるので避けられてきました。

しかしながら専門家によりますと一番の問題はペット本人(?) よりも、むしろ人間の方だそうです。

また、集合住宅において多くの先進国では「飼ってはいけない犬種」または「飼うときに届出が必要な犬種」等が定められており、日本のマンションの管理規約ように犬の大きさ(体重や体長)で制限を設けていることは実にナンセンスなことだそうです(盲導犬の代表選手であるレトリバー種などはかなりの大型犬ですよね)。

要するに基準そのものが間違っていることなどを知らずに犬を飼いたがる、もしくは飼っている飼主があまりにも多く、それに比例して犬種による犬の特性や躾を把握せず、熱帯魚や昆虫などと同レベルで「餌さえ与えていれば育つ」と勘違いしている人が問題を起こしているとのこと。

人間の子供と一緒で親の育て方が悪いとグレたり、他人に暴力を振るったり、ところ構わずオシッコをしたりするのは無理もない、と言うことですかね。

弊社の管理物件においてもペット飼育可の物件がいくつかございます。

確かに入居者募集時の反響も良いですし、賃料が多少相場より高くても成約する可能性が大です。

数そのものが少ないので審査もかなり慎重に行っているせいか、いまのところトラブルもありません。

入居者である飼主さんの人間性に恵まれたお陰だと思っております。

ただ冷静に考えてみれば近所の方々とトラブルの絶えない人は、ペットの有無に関係ないですもんね。

都心部を中心に「ペット共生マンション」が増えて近い将来新たな社会問題が発生しないことを祈ります。

結局いつも犠牲になるのは弱者である動物達なのですから。

過ごしやすい季節ですが油断大敵です。

ご自愛ください。

敬具*吉田のコメントこの記事は、2003年5月有限会社臼井不動産栗山隆太さん記事作成のものです。

マンション所有者、マンション居住者が共に読んでもらいたい記事です。

これから、マンションはどのように転換していくことでしょう。

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6月5日  地方 茨城県::公明党:井手よしひろ(評価:75点)の新着リンク 


6月5日:6479:神栖町のヒ素問題で国が支援策決定

CopyrightYoshihiroIDE(e-mail:master@y-ide.com) 神栖の有機ヒ素問題、国が被害者支援策を公表被害者の会や公明党の要望骨子が盛り込まれる過去の医療費や生活費への補償も実質的に実現神栖町で旧日本軍の毒ガスによるとみられる健康被害が相次いだ問題で、環境省は2003年6月4日午前、被害者に対し、将来治療費や通院費に加え、過去にかかった医療費も「健康管理調査協力金」の形で一括で支給することなどを盛り込んだ国の支援策を発表しました。

健康被害の原因が、完全に旧日本軍の毒ガスと特定されない段階で、国が医療費を支給するのは極めて異例です。

また、国が責任を認めての補償ではないにしても、過去の費用を支出することは「画期的」な支援策といえます。

支援の内容は、有機ヒ素化合物に汚染された井戸水を飲んだ住民のうち、毛髪や尿の検査でヒ素が検出された人に、年1回の健康診断を実施するほか、医療費の自己負担分や療養手当(通院月額1万5000円、入院同2万5000円)を支給します。

特に健康被害が著しいA地点(環境基準の450倍のヒ素が検出されたい土を使用していた場所)の住民には、調査研究費として、今後3年間、毎月2万円を支給。

入院歴のある患者には70万円を、入院歴のある患者には30万円を一括で支給することになりました。

この支援策は、出来るだけ早く6月中にも実行されることになりました。

井手よしひろ県議を中心に公明党県本部では、2月下旬に県当局からヒアリングを実施し、事件の推移を見守ってきました。

4月21日には、石井啓一県代表(衆議院議員)と共に、現地調査を実施し、県並びに神栖町に被害者支援の要望を行いました。

5月23日には、環境省に弘友環境副大臣を訪ね、早期の支援策決定を、国に強く申し入れしました。

この間、被害者の皆さまとも連携を取り、5月23日には、被害者の会の設立、国への要望書提出など協力をさせて頂きました。

5月30日には、公明党環境部会が、旧日本軍の毒ガス問題に関する徹底調査、被害者救済を求める小泉純一郎首相あての要望を、首相官邸の福田康夫官房長官に行い、6月4日の支援策公表を確約させました。

6月4日夜開かれた被害者への説明会には、環境省の環境環境保健部長が出席し、支援策の詳細を説明しました。

被害者側からは、概ね早期の支援策の決定や過去の補償も受けられることを歓迎する声が寄せられましたが、相談窓口の一本化や生活支援がまだ不足であるとの意見が表明されました。


神栖町における有機ヒ素化合物に係る環境汚染及び健康被害に係る緊急措置について1.趣旨・目的有機ヒ素化合物(ジフェニルアルシン酸)に曝露した者に対して健康診査を実施し、医療費等の支給により治療を促すこと等により、健康影響等の解明を図り、もって健康不安の解消等に資する。

2.対象者有機ヒ素化合物に汚染された井戸水を飲用に供していた者であって、毛髪尿検査により暴露が確認された者3.給付内容医療等の給付健康診査の実施(年1回)医療費(自己負担分)の支給療養手当(通院:月額1万5千円、入院:月額2万5千円)の支給健康管理調査等の実施特に汚染の著しい井戸(A井戸)の水を飲用に供していた者に対し、以下を実施。

健康状態等に係る報告書を提出した場合に調査協力費用として、月額2万円を支給(3年間)病歴、治療歴等に関する調査に協力する場合に協力金を支給(入院歴のある者:70万円、入院歴のない者:30万円)専門家による調査研究の実施環境省に専門家からなる検討会を設置して、(1)及び(2)を通じて得られた資料等に基づき、健康影響等解明のための調査研究を実施。

4.その他実施時期:平成15年6月(できる限り早く)事業の見直し:事業の実施後5年を目途に全般的な検討を行う
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6月5日  地方 豊田市::未調査:岡田耕一(評価:65点)の新着リンク 


6月5日:11307:NO-TITLE

視察報告書新政クラブ岡田耕一視察日時平成15年5月28日13:30〜17:00会場足立区立中央会館会議室元草加市助役の山下裕辭氏による研修会(議会改革・行財政改革について) 前列左が講師の山下裕辭氏
これからの自治体は、自立が求められている。

中央依存からどこまで脱却できるか(自主・自立) が課題。

財政を考えれば従来と同じ意識ではいけない。

対象人員が減れば関連予算も減らすべき。

地方議会には、与党も野党もない。

いいものはいい、悪いものは悪いとしっかり主張すべき。

是か非かは、個人の考えではなく、市民の立場で考える。

政策協議「今までの議員は・・・だった」という意識を改める。

それぞれ3人が、政策に明るい議員になる。

他の自治体でやっていない政策を実現

国の規制・制約を受けないものを考える。

いいものは他人のまねもしていくこと。

単純にまねをするのではなくて、分析して豊田市においてどう流用するか。

議会は執行権を持っていないので事実上の立法機関となるべき。

地域に必要な条例をどんどん作る。

自ら提案、政策立案する。

一般質問でどんどん提起し、条文化は執行機関(理事者) に任せる。

考え方住民の立場、視点に立っているか。

横断的に総合的に住民サービスのあり方を考えるのが議員である。

制度の活用一般質問の時間の考え方は、1人当たり○分、プラス会派に○分というのが本来あるべき姿。

会派になったら時間が減るというのは、おかしい。

一般質問、議案質疑において様々な制限があるのなら委員会質疑を最大限活用する。

事例:おこなったことがある。

先例:ルール。

議事規則に加えられることがある。

情報公開委員会のテレビ中継についても検討すべき。

委員会議事録も本会議の議事録と同様の扱いをすべきである。

当初予算説明会は、正式な会議ではないので市民傍聴ができない。

市民への公開から考えると良くない制度である。

予算説明が説明会で、質疑は各委員会となり、説明と質疑応答が分断されるという問題がある。

情報公開の観点から考えると各派代表者会議は、良くない。

隠れ蓑的になることが多い。

議会運営委員会ですべきものが多い。

国会では、議員親睦、海外視察に関することは、議運で議論している。

「議会運営委員会よりの調整依頼事項など」は、本来あってはならない。

議会を円満、円滑に運営するために少数派7、多数派3という7:3の配慮が必要。

「少数派の擁護」を考えなければならない。

しかし、「少数派も横暴」になってはいけない。

議会を混乱させてはならないが、議論はしなければならない。

研修を終えて私は、山下さんとお会いするのは2回目で、面識はあったのだが、これだけ内容の濃い話が聞くことができたのは初めてで、本当に感謝している。

国立国会図書館に勤務された経験と草加市助役を務められた実績から行財政、議会運営にも明るく、我々議員にも厳しいご意見をいただいた。

しかしながら、我々の主張する議会改革、議会の活性化に対する意見は山下さんの意見と全く同じであり、心強く感じた。

32名という大会派とその大会派と全く同一行動を取るもう1つの会派で40名中、35名を占める豊田市議会を今後、どう改革していくか、大きな問題であるが、やりがいを持って、正々堂々と主張していこうと思っている。

具体的な改革内容としては、各議員の発言時間の確保や1問1答式の自席からの活発な議論。

政務調査費の使途の再検討や会議出席にかかる費用弁償(5,000円/日) の必要性についての検討。

議会のインターネット中継導入。

議案質疑、討論、採決などのCATV放送、FM放送の実施等も積極的に働きかけていきたい。

そして、我々「新政クラブ」は、議会改革、行財政改革を目指す会派として自ら範を示す意味の第一歩として、今後、政務調査費を使っての視察には、グリーン車を使わないことを申し合わせた。

そして、今回の視察から実践したのだが、議員の行政視察にあたっては、グリーン車使用を前提とした旅費計算をやめて、一般車指定席の料金で計算するようにすることも議会全体に広げていきたいと考えている。

まだまだ、改めていきたいことは山ほどあるが、会派として、1人1人の議員の資質を高め、我々の主張は、市民にとっても当然の主張となるよう、しっかり情報提供し、市民も巻き込んだ議論をしていきたいと考えている。


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6月5日:24874:NO-TITLE

視察報告書新政クラブ岡田耕一視察日時平成15年5月29日9:30〜12:00町田市における病中・病後児保育(乳幼児健康支援一時預かり事業)について町田市では、仕事や社会的事由等で安静が必要な乳幼児の看病ができない保護者の方の需要に対応するために、クリニックや保育園において病中・病後児保育を行っている。

そこで豊田市での同事業の早期実現のため視察を行った。

(1) 病後児保育(桔梗保育園・小野路保育園)@実施の経緯・ききょう保育園(社会福祉法人桔梗)現地視察もさせていただく昭和50年代末保護者会主催の「病気あけ保育」が始まる。

保育所の外にてベビーシッターを雇う等、試行される。

公費助成無し。

平成3年9月市議会の請願採択により、平成4年度より市単独の補助開始。

市から保育所へ定額補助金を交付し、保育所から保護者会へ助成。

平成5年度「病気あけ保育補助金」を直接保護者会へ助成する制度に変更。

保育ママ」の日給に一部補助(約6,200円) 。

平成12年度9月市議会にて病後児保育予算成立。

10月から現行制度開始。


施設概要定員4名常勤看護師1名、常勤保育士1名非常勤保育士2名(看護師、保育士2名体制) 開設日数295日開設時間7〜18時・小野路保育園(社会福祉法人香楓会)園医が診療所を隣地に建て替え、旧診療所の有効活用を保育所に相談。

改修して保育所分園と病後児保育施設の併設建物にしたい旨、市に打診がある。

ききょう保育園の事業成果を参考に、病後児保育の実施計画を検討。

平成12年度少子化対策施時特例交付金を受け、施設整備平成13年度4月から事業開始。

施設概要定員4名常勤看護師1名、常勤保育士1名(看護師、保育士2名体制) 開設日数295日開設時間7〜18時A定員の考え方定員が4名ごとになっているB受け入れ対象を小学校低学年までとする考えはないか桔梗保育園の園長先生の話では、受入れてもいいが、実際、回復期の児童は、比較的元気保育園での保育の必要はあまりないとのこと。

C市としての開設場所(箇所) の考え方いずれの園も保育園の方からの打診であり、行政サイドからの設置要求ではない。

いずれの園も市西部地区であるため、人口が急増している南部地区にも設置はしたいということだった。

医師会との調整も必要。


D市民以外の利用はできるのか市内の園に通園している幼児は利用できる。

E私立園併設ばかりだが、市立園併設はスペースの確保という問題から市立園の新規開設は困難。

F料金設定の考え方国の考えでは2,000円となっているが、昼食込みで3,000円にしている。

おやつ有り。

減免制度あり。

保護者からは高いという声もある。

(2) 病児保育(はやしクリニック病児保育室)現地視察もさせていただく@実施の経緯平成13年6月8日町田市健康課(医療政策の事務局)を経由で、院長から児童福祉課へ病中児保育開設要望。

7〜9月にかけて相談。

診療所の旧処方薬局建物を貸借し、病児保育室へ改修したい旨、事業案がまとまる。

平成13年9月26日付、計画書受理。

市長決裁。

平成13年度12月市議会にて事業計画採択。

施設整備費の特例交付(市単独)が決定。


平成14年1〜3月施設整備。

4月から事業開始。

施設概要定員4名常勤看護師1名、非常勤保育士4名(看護師、保育士2名体制) 開設日数246日開設時間8時30分〜17時30分主事医が利用を可能と判断した入院を必要としない程度の急性の病気で、はしか以外の病気は預かる。

病気で保育園から呼び出しがあった時でも空きがあれば預かる。

写真右側が、はやしクリニック。

病児保育室に隣接しているため、医師がすぐに対応できる
A利用の考え方町田市在住の4ヶ月から小学校2年生までを受け入れる。

町田市以外の子も利用可能。

B料金設定の考え方弁当持参で3,000円にしている。

おやつは有り。

減免制度あり。

C補助金額(根拠となる条例・規定は)本事業は、国の乳幼児健康支援一時預かり事業実施要綱、東京都病後児保育事業実施要綱、町田市病後児保育事業実施要綱に基づき実施。


15年度予算施設事業経費(3施設分) 33,300千円市事務費625千円市負担額合計16,903千円(3) 豊田市における乳幼児健康支援一時預かり事業早期実施にむけて今回視察させていただいた、町田市の2003年4月1日現在の人口は、392,466人、0歳から4歳までの人口は、17,950人、5歳から9歳までが、17,775人。

豊田市の人口は、2002年4月1日現在、353,614人、平成13年10月1日現在の、0歳から4歳までの人口は、20,366人、5歳から9歳までが、18,601人で多少の違いはあるものの同規模人口で子どもの人口規模も似通っている。


本市では、市立幼稚園・保育園の民間移管計画とあわせ、平成20年までに病後児保育の1施設での実施を明言している。

また、平成14年12月議会での私の一般質問に答える形で「病児保育については、保護者の子育て就労の両立支援の観点から重要であると思っている。

実施する施設は、病院や診療所に限られているので今後、病院や診療所が病児保育を実施することになれば、国県の補助制度に合わせ、市の補助制度も創設していきたい」と答弁している。

豊田市でも国の制度の有効利用や市の独自制度の早期創設により、市立保育園の民間移管時に乳幼児健康支援一時預かり事業を条件の1つにすべきではないだろうか。

また、病中のお子さんを預かることのできる病児保育の施設として小児科の開業医に積極的に働きかけ、早期開設を進めるとともに移転が計画されている加茂病院についても病児保育室併設の要望を働きかける必要があると思う。

町田市では、15年度予算として3施設あわせても市からの負担額は、1,700万円弱である。

豊田市の財政力から考えても十分対応でき、早期に実現できると考える。

女性の社会進出により、乳幼児健康支援一時預かり事業のニーズが高まっている現在、市として、積極的に実現に向け、動き出す必要性を痛感している。


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6月3日  地方 佐賀県 佐賀市::自民党:亀井雄治(評価:51点)の新着リンク 


6月3日:8849:見聞録

見聞録議会のこと、視察や勉強会、日常などで見聞したこと、体験したことを書き記します。

議会だより視察レポート政清会西神野浮立おすすめ面白写真館
川柳リンクphottopix掲示板佐賀の四季福祉で街づくり委員会
掲示板にもお出かけください!佐賀市議会のホームページにもどうぞ!(見聞禄のバックナンバーはこのページの最後にあります)
6月6日(金) そろそろ・・・昨日5日は文教経済委員会の研究会が開催され、所管部署の事務分掌や今年度の主な事業等について説明を受けました。

そんな中に、まだ正式な議案でもないものについて、審査紛いの質問があったりそれって「一般質問」じゃないの?みたいなものもあったりで、???と言う感じを受けました。

今朝は、亡母の国民健康保険や老人医療保険の解除、介護保険証の返納などで市役所に行きましたが、そんな手続きをしていても、まだ母が亡くなったことの実感が湧いてきません。

なにせ、この3月までは元気だったのですから・・・。

そして予定より一日早く、初七日の法要を行ないました。

通夜から葬儀にいたるまでお手伝いいただいた方々や親戚の方にお集まりいただき、初七日忌は無事すみました。

これから当分の間は、七日毎の法要が続きます。

そんなこんなでも確実に時は過ぎて、そろそろ6月議会の一般質問等も考えなければならなくなってきましたが、実際のところまだ何を質問するか決まっていません。

これまでの4年間で積み残してきた問題をとも考えているのですが、まだ固まっていないのです・・・。

また、9日に送付予定の議案を検討して、そちらの質疑をとも考えていますが、それも実際には議案を見てみなければ分かりませんし・・・。

12日には一般質問の通告が締め切られますので、それまでにはと思いますが、明日は親戚の家で、叔母の3回忌の法要もありますし、果してどうなることやらです・・・・・。


6月3日(火) 甘えん坊・・・先月23日に肺炎と腎不全が重くなり、呼吸困難になって、急遽、県立病院好生館の救急救命センターに入院していた母は、6月1日午前5時10分に息を引き取りました。

丸9日間、私と妻とで付き添い励まし、医師団や看護士さんたちにも手厚く出来る限りの治療をしていただき、母も随分頑張ってくれましたが、寿命のなせるところか、97歳をもって他界いたしました。

明治38年7月5日の生まれでしたので、もう少しで98歳になるところで、白寿のお祝いも考えていた矢先のことでしたし、百歳は悠に大丈夫と思っていました。

3月末に転んで骨折したことが遠因となり、次々に他の病気を併発してしまったのです。

選挙の前には幾分快方に向かっていただけに残念でなりません。

きっと、選挙期間の前後は母なりに頑張ってくれて、時期をずらしてくれたのではないかと思います。

私は一人っ子で「かあちゃんっ子」の甘えん坊でした。

母は、大正10年に電電公社(当時は白山にあり郵便局の一部門だったようです)に奉職し、定年退職まで勤め上げ、定年後も嘱託(?)のような形で勤めていたようです。

手動の交換機の時代でしたから、当然宿直というものがあり(今でも?) 、月に何度かは、夜、母が家にいないことがありました。

甘えん坊の私はその寂しさに耐え切れず、時々中の小路の電話局に泊まりに行ったものでした。

翌日の学校の支度をして、ランドセルを背負って行ったものです。

もちろん翌朝は電話局から学校へ行きました。

当時としては珍しい女性管理職(副課長)となり職業婦人「キャリアウーマン」のはしりだったのではないでしょうか?それでも、明治生まれの女性らしく、いつも父のうしろに一歩下がっている人でした。

同級生のお母さんたちより一回り程年上の母でしたが、常に10歳くらいは若く見られる、私の自慢の母でもありました。

明治、大正、昭和、平成と四つの時代を生き抜き、仕事に打ち込む一方、父を愛し、子どもや孫を慈しみ愛してくれた母に、その恩の万分の1も報いることが出来なかったという悔恨がありますが、亡くなる前の丸9日間を、例え昏睡状態であったとは言え、親子水入らずで過ごせたことがせめてもの慰めです。

母が愛して止まなかった、20年前に他界した父のもとへ旅立っていきましたが、きっと、お浄土では父が首を長くして待っていた事と思います。

今度は、お浄土で父と水入らずの時間を過ごしてもらいたいものです。

生前の母に対しまして賜りましたご厚情に深謝申し上げ、また、1日、2日と慌しく通夜と葬儀を執り行いましたが、ご近所の皆様や友人・親類に何かとお世話になりましたこと、また、たくさんの方々にご会葬頂き、過分のご供物や弔辞を賜りましたことに対しまして、重ねて心より厚く御礼申し上げます。


見聞録バックナンバー2001年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
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6月2日  地方 四日市::未調査:小 井 道 夫(評価:45点)の新着リンク 


6月2日:6392:市政情報第47号(H13.5.16)

[市政情報]<第47号・13.5.16>四日市市情報公開審査会が「市土地開発公社から市長への内部調査報告書」の部分公開決定に対する異議申出事案について「答申」★「内部調査報告書」の非公開部分のうち公務員及び市議会議員名は、公開すべき★「内部調査報告書」は「意思形成過程情報」「事業運営に関する情報」に該当しないどう対応するか〜公文書ではない・プライバシイ保護を理由に頑なに公開を拒んできた市・土地開発公社当局
市当局は、四日市市土地開発公社の土地取引をめぐる種々の疑惑が表面化して以来、4年余も過ぎてから土地開発公社の「保有地の調査」なるものを行い、その結果を昨年(平成12年) 10月25日の市議会・市外郭団体審議会へ報告しました。

そして、その調査結果として、公社保有地の取得について若干の「手続き上の不備」があったものもあるが、「刑事・民事上の責任」はもとより「道義的責任」すら問うものはなかったと断定しました。

そのご、この市の「調査」以前に公社が「内部調査」を行い、その結果を市長に報告していたことが新聞報道で明るみにでました。

特に問題となったのは、『公社の土地取得に7人の市議会議員が「介在」』と報じられたことです。

これに対して市当局は、「内部調査」文書は、公文書ではないとかいって公表を拒んだり、拒みきれなくなって議員名等を抹消して発表するなどしてきました。

また、「内部調査」文書に「介在」などと記されていることについて訂正をするなどしてきました。

詳しくは、<市政資料37(H12.12.6) >や<参考資料>等に掲載していますが、問題は、土地開発公社の土地取得をめぐるいろいろな疑惑や不明朗なこと、無責任にも土地取得後の適切な処理をしないまま長年にわたり「塩漬け」にして利払いを続け公社に大きな損害をもたらしたことなど問題の解明や責任究明がなされないでいることです。

そして、そのつけを市民税金で償う措置、いわゆる市が公社に依頼して取得した「公有用地」の市への買戻し(総額約150億円) が公社の健全化対策と称して13年度から(5カ年) はじまることになりました。

これにより、長期の経済不況で苦しくなっているといわれる市の財政が、一層圧迫され市民の市政に対する要望がしわよせを受けつつあります。

このほかに、「プロパー事業」として取得した土地があり、売るにも売れない、活用もままならない土地が多く含まれ、巨額の債務となっています。

その土地取得をめぐる疑惑も多々あるとみられています。

したがって、あくまで土地開発公社の保有地について、その取得をめぐる問題点の解明や責任の究明、そして市民が納得できる解決策を見出すことが必要です。

これまで、市議会に「外郭団体審議会」とか「土地開発公社調査特別委員会」とかいうものが設置されてきたところですが、その役割を殆ど果たしていません。

小井議員を含めて何人かの議員が地方自治法上の百条委員会の設置を求めていますが、これが多数を占めるまでに至っていません。

このような市議会の状況とともに、市当局や土地開発公社が前述のように情報を全面的に公開・開示しないことも大きな問題です。

そうしたなかで、先日(5月14日) 、四日市市情報公開審査会が佐野議員によって提起された「市土地開発公社から市長への内部調査報告書」の部分公開決定に対する異議申出事案について、その主張の重要な部分を認める「答申」を行ったことは、極めて意義深いことです。

これに対して市当局・公社は、どのように対応するのか、注目されるところです。

井上市政は、あらゆる場で「市民主体の市政」とか、「行政の透明性を高め市民の信頼を高めるために政策形成過程を含めて情報公開・開示をする」などと言っています。

それが、口先だけのことか、或いはパホーマンスだけなのか、厳しく問われています。


「市政資料46」に「答申」のほぼ全文を掲載しました。

平成13年5月15日付け朝日新聞・伊勢新聞より
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6月2日:8582:H13年12月17日付け伊勢の記事(土地開発公社問題)

市政情報51(H13.12.18) 四日市市土地開発公社に関する12月17日付けの伊勢新聞の記事
12月17日付けの伊勢新聞が、「一年を振り返ってI」の特集記事において、四日市市土地開発公社の問題について報道しました。転載の了解を得て、その記事を以下に紹介します。

クリック⇒◆12月17日付けの伊勢新聞記事(JPG版) なお、テキスト版を次に掲載しました。


伊勢新聞(平成13年12月17日付け) 一年を振り返ってI四日市市土地開発公社の過去不問無責任体質断ち切れず市民の財布を担保に借金不要な土地を過去買いあさった四日市市土地開発公社。

借金は膨れ上がり、早期に土地を吐き出さない限り、"沈没"する。

井上哲夫四日市市長は、使える土地を借金(起債) して平成十七年度までに買い戻し、返済を平成三十年までに終える計画を本年度から実施。

巨額の含み損を抱える、使えず、利用の当てのない土地の処分は十八年度以降の課題とした。

昨年十月、過去の関係者すべてを"無罪放免"する調査報告を発表したぱかり。

井上市長は、過去に責任を問わず将来責任先送りした。

■問題の先送り公社は、市を保証人に銀行から借金して土地を買う。

借金総額は三百七十三億円(昨年) 。

積もり積もった利息は約六十五億円。

通常は、予算に縛られ自由に動けない市の依頼を受け事業に必要な土地を取得、のち市に売り払い、代金で借金をチャラにする。

が、市公社の場合、事業に必要のない土地を買いあさったり、市が正式に頼んでもいない不要な土地を購入。

市民の役に立たない土地を市が買えるはずもなく、地価の長期下落傾向による含み損の拡大と雪だるま式に増える利息をにらみつつ、だれがいつ、この不始末を金でしりぬぐいするかが問題となっている。

市は、使用済みの土地をはじめ事業に使える土地を本年度から五年間で約百七十億円分買い戻す。

うち約百三十億円は国が五年限りで特別に認めた借金(起債) で賄う。

返済は平成三十年まで続く。

返済額は年間三億〜十五億円。

使用済みの土地を買い戻すのは当然だが、昭和五十四年から使っている土地もあり、無駄な利息を払うことになる。

ほかの事業との兼ね合いから財源を回し切れなかったのかも知れないが、市が過去にさかのぼって市の財政出動を吟味したことはない。

昨年十月発表の公社に対する市長調査を担当した一木勝弘・市長公室理事は「財務まで点検しろとは市長から指示はなかった」と語っている。

過去の財務当局者の責任は不問に付された。

今後の一番の問題は、市が事業に使うめども、買う大義名分もない公社の土地の借金二百十六億円。

含み損は百十二億円。

民間に売らない限り利息は増えるばかりで、売れたら含み損が顕在化して穴埋めに頭を悩ます。

公社が自由に使える貯金(準備金) は九億円で焼け石に水。

この処理につき、山下正文助役は八月八日、「依然として解決のつかない問題」と市外郭団体審議会で述べている。

井上市長は市民の血税でしりぬぐいさせる腹とみられている。

市の計画では平成十八年度以降に民間に処分するが、期限もなく現実性もない。

問題を先送りしただけだ。

単純化すると、筋書きはこうならないか―。

銀行からの融資二百十六億円で土地を買い転売しようとしたが、土地が半値に暴落。

ヘタを打つ。

貯金は九億円で返済に窮する。

普通なら残る手は夜逃げか破産

銀行不良債権を抱え、頭取の経営責任が問われるはずだ。

が、公社は市民の財布から強制的に税金を取り立てる市が保証人。

銀行は将釆的に取りっぱぐれることはあり得ないから利息返済も含む当面の運転資金を公社に貸し与えて借金浸けにして利息を稼ぎ市に請求する構えでよい。

公社も市の保証で当分資金繰りには困らないからいますぐ破産、夜逃げの必要もない。

保証人の市はバブル時の時価で土地を買う大金もいますぐ出せないし、出せばほかの施策に影響する。

買ったとしても使う当てはなし、議会、市民から法的責任を問われるのは必至。

民間に売れれば一番良いが、今の時代見込みはなく、売れても損失が出る。

だれが損をかぶるのか、妙案はないが、やっぱり市民しかいない。

はっきり言うと責任を追及されるから、十八年度以降に取りあえず処理を先送りする。

そのときが来ればまた先送りすればよい。

将来の顔の見えない市民なら反論できまい。

わが亡き後に洪水よ来れだ―。

井上市長は、三期十二年の任期を地元代議土と協定して支持を取り付けた異例の市長。

三期目となれば任期は平成二十年まで。

処理期間は二年間しかない。

次期市長に処理を押し付ける可能性は十分ある。

■無罪放免ことし二月、市民は過去の公社役員七人と市議二人以外に井上市長も相手取り、不要な土地を買って市に損害を及ぼしたなどとして、総額約十六億円の穴埋めを求める住民訴訟を起こした。

市長は不要な土地を買った関係者への責任追及をなまけた責任を問われた。

あらゆる関係者を"無罪放免"した政治責任が焦点だ。

「私がやるしかない」と昨年一月の記者会見でぶち上げ、同年四月から始まった公社に対する市長の独自調査。

調査結果は、半年後の十月に発表され、井上市長は「刑事、民事責任は把握できなかった」と述べ、真相究明、責任追及は「これ以上困難」と調査の限界を強調した。

が、そもそも初めから、調査のカ点は、公社の土地取得手続きの「書類上の不備」に置かれた。

個人の責任を追及する視点などない。

たった一人で調査に当たった一木氏は振り返る。

「刑事、民事の責任追及、行政処分の観点から調査するよう市長から指示があったかどうかは覚えていない。

市長とは口頭でしょっちゅうやりとりしていたから、このやり方で良かったのでしょう」調査の聞き取り対象者も公社の元常務理事までで、肝心の最高責任者の前市長や元公社理事長、副理事長には話すら聞いていない。

過去の最高責任者に話を聞かない調査で過去を不問に付し、自らはことし一月から三月までの三役給与10%を減額を実施、「市の最高責任者として襟を正す」とした。

■無責任のなれの果て加藤前市長は、元常務務理事が告発された時「公社に責任を取ってもらわなきゃ困る」と語った。








6月7日  地方 富山県新湊市::自民党:菊たみお(評価:28点)の新着リンク 


6月7日:12129:TamioPersonalPageTamioPersonalPage

しるべ政策研究会■しるべ6月号2003■市政談議市町村合併を見据えて仮想市議選シュミレ−ション
○○市議選!平成17年2月20日告示される。

平成17年2月1日、合併後、富山県内3番目の総人口94,532人の新市が誕生した。

市長選挙は、5市町村長の失職に伴い2月20日告示された。

市議会議員選挙も、定数特例、在任特例を使わず地方自治法92条の定数30人の設置選挙とし市長選と同時選挙が行われ、新市として初めての選挙となった。

市議会議員選挙は現職35人、新人3人が立候補し定数を8人オ−バする激しい激戦となった。

投票率86%と過去(市町村選挙)最高となった。

電子投票は富山県内で初めて実施されマスコミの注目の的となった。

投票結果は午後8時締め切られ、午後9時に各候補の当選が決まった。

《2月27日市議選開票結果選管発表午後9時》○○市総人口94,532人当日有権者数75,689人投票総数65,092有効投票64,880無効210持ち帰り2投票率86%当選ラインは2,170票(30人)〜1,713票(38人)新人が出にくい選挙!村から議員が消える!貴方はどの選挙制度を選びますか!(現在の議員定数と一票格差の矛盾点)市町村名人口H12.3.31有権者数H13.7.29条例定数H15.1.1議員定数H15.6現一票格差(旧議員数・合併議員数)
人口/議員有権者数/議員議員数/2522票
新湊市(旧名) 37,97030,72726211,808人1,463票12人
小杉町(旧名) 32,19025,44126(-2) 181,788人1,413票10人
大門町(旧名) 12,94010,2722216808人642票4人
大島町(旧名) 9,3177,5741814665人541票3人
下村(旧名) 2,1151,6751410211人167票0〜1人
○○市(合併) 94,53275,68930(-2) 793,151人2,522票30人
◆30人の設置選挙での矛盾点◆1)選挙を現行の設置選挙で行うのが一番良いと思うが、それぞれの地域の問題点は、合併後多くの施策が棚上げになっている。

その市民の代表(代弁者)として旧町村から選出できない地区(下村)があるとすれば考慮せざるを得ないだろう。

いずれ4年後に議員定数30人で選挙をしなければならないが、住民サ−ビスを平等に受ける事がまず必要であり、その地域の風土・歴史・習慣を知っている議員が必要がある。

急激な変化は避けるべきかも知れない。

2)定数特例では4年間、議員定数30人を60人まで増やす事ができる。

定数を38人から40人程度とする方法もある。

有権者数75,689人、投票率86%、有効投票65,092票と仮定すれば、当選ラインは1,712票(1,627票〜)は下村は1議席確保できるのでは。

3)在任特例は、5市町村のまとまりがつかない場合の最後の手段である。

ただ議員の職責が2年間延びる事で、新市が誕生しても積み残しの多くの問題を議員79人で新市計画を実行あるものとする事ができる。

その期間を2年間と定めているが、2年間で5市町村議員が融合できるか自身がない!一番市民の反発が強いのではないかと思う。

議員定数削減(定数30人を現行79人として2年間継続)と議員報酬(新湊41万円〜下村16万円/月額)の決め方に問題がある。

その後30人での厳しい選挙選が待ってる。

新人の出る幕あるのだろうか疑問である!4)選挙区制度の導入の方法もあるのだが慎重に!1票の格差(上記表参照)について多くの疑問が残ることになるので慎重にならざるを得ないだろう。

新市を人口割・有権者割・地域割とした時、今まで小さな町村等の下村では144票、大島町で465票、大門町で552票で当選していた。

小さな町村程不利益が発生することになる。

それを是正するために「選挙区制度の導入」も考えられるが、同じ議員でありながら片方で465票で当選し、1200票で落選する事も考えられるとしたら、この制度自身問題である。

その為には1票格差から生ずる矛盾を解決しなければならない。

5市町村を幾つに分けるか議員の割り振り方にも要注意が必要である。

この制度は対等合併であるから矛盾が生じている。

※:議員定数の条例数値は、平成15年1月1日のから変更数値を基にしています。

※:人口は平成12年3月31日現在の住民基本台帳人口※:面積、職員数は富山県市町村要覧(平成12年7月版)による。

◆1票格差(新湊市1議席当たりの人口1770人) 03.4.16(北日本新聞) ◆下村村長「議員定数が気がかり」03.5.21(富山本) ◆富山県で初めての電子投票新見市(参考) Copyright©T.KikuOffice2003WebpagesCreatedbytamiokiku
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5月31日  地方 山口県岩国市::未調査:渡 吉弘(評価:25点)の新着リンク 


5月31日:5179:宇野千代文学


情報提供:宇野千代顕彰会
明治・大正・昭和・平成……愛した、書いた、生きた…。

昨年6月10日、98歳の天寿を全うし、彼女を待つ懐かしい父母弟妹、愛した男たち、たくさんの友人の元へ旅立って行った。

岩国市名誉市民、われらが宇野千代……。

岩国に生まれ、若気の至りの恋愛事件でこのまちを追われ、なお愛し続け、歳を経て再び受け入れられ、遂にはこの地に眠る…。

岩国は宇野千代文学の原点。

まちの至る所に、宇野千代が、おはんが、加納屋が…息づいている。

岩国を舞台とする宇野千代文学作品をご紹介いたします。


■『おはん』〔1957(昭和32)年6月/中央公論社〕
女のため女房のおはんを捨てた加納屋は、臥龍橋の上でおはんと再会。

二人は、現女房のおかよの目を盗んで密会を重ね、再び所帯をもつことを誓うが…。

二人の女の間で揺れ動く男心のふがいなさ。

幼い子供の死が切ない…。


■『風の音』〔1969(昭和44)年10月/中央公論社〕
千代の父と継母の印象が登場人物の原型で、宇野千代の生家が物語の舞台となっている。

夫の我儘の妻妾同居を素直に受け入れる、娘のような心持ちの主人公おせん。

奔放な生活の果て、殺人を犯すに到る夫清吉。

しかし、どろどろとした愛欲小説ではない。

文芸雑誌「海」創刊号のために書かれた意欲作。


■『水西書院の娘』〔1977(昭和52)年/中央公論社〕
「水西書院」は岩国藩主の元別邸の名であるが、小説では藩主の元学問所であったという設定。

その裏手の植木屋の息子直吉をめぐる、水西書院の娘正子と、いが餅屋の盲目の娘トキ子。

人間の心のひだを巧みに描く。


■『或る一人の女の話』〔1978(昭和53)年/中央公論社「宇野千代全集:第7巻」収録〕
主人公一枝は宇野千代自身か。

ある女の半生を描く長編小説。

東郷青児らしき画家との別れで物語は終わる。

後年の自伝『生きて行く私』はこの小説を一人称化、宇野千代自身としてよりいきいきと描き直したもの。


■『チェリーが死んだ』〔1977(昭和52)年/中央公論社「宇野千代全集:第8巻」収録〕
『八重山の雪』の続編。

岩国で実際に起こった、基地の兵隊による娼婦殺人事件が元になっている。

思いやりをもってチェリーという女性を描く。

秘書の藤江淳子氏によると、女流作家のE.Y.氏は(宇野千代文学の中で)この作品が一番いいとおっしゃったとか。


■『生きて行く私上・下』〔1983(昭和58)年/毎日新聞社〕
新聞連載時より大反響。

ご存じ宇野千代の自伝。

誕生から85歳までの半生を語る。

大ベストセラー。

連続テレビドラマ化、舞台化され、宇野千代ブームを巻き起こした。


※いずれにも岩国の地名、店名、風物などがたくさんでてきます。

文庫本と地図を片手に歩いてみてはいかがですか。


−宇野千代ニュース−★6月1日は薄桜忌宇野千代生家
1996年98歳で亡くなられた、我が国屈指の女流作家宇野千代先生の命日をしのぶ、「薄桜忌」が6月1日(日)10:00〜16:00まで川西の宇野千代地生家で行われます。

昨年の7回忌には、東京から沢山のゲストも来られ生前の先生をみんなで偲びました。

しかし8回忌の今年は、読経や先生にまつわる思い出話や朗読などで静に先生を偲びます。

随時参加となっておりますので、新緑に輝く生家のお庭を楽しみながら、お話でもいたしましょう。

先生のお墓は川西の教蓮寺内にあります。

墓所での墓前祭は行いませんが、どうかお参りして下さいませ。

先生のお墓はたいへん簡素なもので、フランス文学者河盛好蔵氏の字で「宇野千代の墓」と刻まれています。


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6月4日  地方 大阪箕輪市::不明:牧野直子(評価:25点)の新着リンク 


6月4日:5013:直子のフレッシュニュース2003.6月@(6.4)

直子のフレッシュニュース(2003年6月4日)
ペデストリアンデッキの巨大橋かかる
5月31日の夜中から6月1日の未明にかけて、萱野新都心の目玉、ペデストリアンデッキが取り付けられました。

すぐ横の工事現場で組み立てられたものを、日本に2台しかない96輪の大型搬送車に載せて、そろりそろりと移動させ、取り付けるのです。



わたしもカルフールの2階から見届けました。

通行禁止になった真夜中の新御堂筋を歩きながら、心は重たくなるばかりです。

「これでは、背景の山なみが活かされない」この巨大な橋の工事に14億円も使っています。

もっと生きた税金の使い方をすべきです。

わたしはあの橋の下を通るたびに、議員である自分を恥じることになるでしょう。


ほんとうにごみを減らせる?
5月には市内各地でごみの有料化説明会が開催されました。

5月28日に自宅近くの北小会館で行なわれましたので、わたしも参加しました。

50〜60名くらいの方が来られ、熱心に職員の説明を聞き、質問しておられました。

「有料化の直前に大型ごみが集中するのでは?」との問いに「今から少しづつ出していってください」と職員が答えていましたが、「ごみに出す前に、市民リサイクル工房にご相談ください」というような誘導があってしかるべきです。

ある人にとっては不用品がどこかで役立つかもしれません。

そのようなごみにださないための受け皿を用意してから有料化に踏み切るべきです。


「ひとがつながるまちづくり」で多くの出会い
5月31日(土)の午後、難波のOCATのホールで、大阪府の人権協会などが主催のイベントがありました。

「地域通貨」をテーマにした分科会に参加、隣の分科会では箕面の「ええ・みのお推進市民の会」が発表していました。

また、参加団体交流・情報交換コーナーでは、さまざまな市民団体の方との出会いがありました。

全国では、約100ヶ所で、その地域限定で利用される地域通貨(エコマネー)が誕生しているそうです。

でも、箕面ではまだです。

いつか「1みの」とカウントするような地域通貨が箕面でも出回れば面白いのですが・・・
恒例の「みんなで歌うコンサート」は好評
6月1日(日)の午後2時から、西南公民館で毎年6月第1日曜日に開催しているグリーンエコー&さくら会のジョイントコンサートを行ないました。

今年で6回目となり、常連の観客はほとんどが高齢の方です。

このコンサートの特徴は、全員合唱がふんだんにあることです。

今年のゲストはみのおマンドリンクラブの皆さん。

手話サークルの方々のご協力も得ました。

指揮者としては、団員の生き生きした表情が何よりの楽しみです。


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6月6日  地方 神奈川県綾瀬市::共産党:上田ゆう子氏(未評価)の新着リンク 


6月6日:5578:ゆう子のつぶやき(2003年2月)


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2003年6月6月5日(木)いよいよ10日から議会が始まります。

6月はいつも案件が少ないのですが、今回はとくに少なくなっています。

私の担当する教育福祉常任委員会は、陳情2件しか案件がありません。

共産党市議団が2名になって空白になってしまった総務常任委員会。

いつもは一番案件が少ないのですが、今回は議案1、陳情3と一番多い委員会になってしまいました。

市からの議案の主なものは、住民基本台帳ネットワークに関わるものです。

きょうは、一般質問のテーマについて考える時間をとりましたが、しぼりきれずにいます。

みなさんも、議会で取り上げてほしいテーマなどありましたら、お知らせください。

議会日程はこちらから。

傍聴、お待ちしています。


6月4日(水)子ども教育生活を考える会の例会に参加しました。

これまで「教育」のテーマを追ってきましたが、今回は「生活」がテーマに。

7月5日(土)午後1時から、綾瀬西高校をお借りして、「石ケンと合成洗剤のちがい」について勉強することになりました。

ご参加お待ちしています。


6月3日(火)ゴミ収集についての署名の、第2回めの提出を行いました。

「プラスチックゴミの週1回収集を一刻も早く」については、10月からの予定を少しでも早めるようにと調整中とのこと。

まだ調整中なのかとガッカリ。

「燃やせるゴミ週3回を堅持して」については、当面は週3回のままということで、とりあえずホッ。

改めて、分別に努力している市民に応えるために、一日も早く、プラスチックゴミ週1回収集を実現してほしいこと、量が減っても夏場の生ゴミ週2回は衛生上厳しいこと、生ゴミ処理機のいっそうの普及などの対策がともなわない性急な実施は避けて欲しいことを訴えました。

日比谷野外音楽堂で行われた有事法制反対の集会に参加しました。

国会までデモ。

衆議院、参議院の共産党国会議員が出迎えてくれました。

民主党、自由党までもが賛成に回ってしまった厳しい状況のなかですが、なんとかがんばってほしいとの願いをこめてエールを送りました。


6月2日(月)2男の高校の3者面談がありました。

どんな世界でも手に入りそうに思えて、実は将来についてなかなか実像が描けないいまの子どもたちの実情。

人生、こんなもんさ」とあきらめて欲しくないと思えば、子どもの迷いにつきあうしかない……。

また、胃の痛くなる季節がやってきます。


6月1日(日)新日本婦人の会の支部総会に参加しました。

この1年の綾瀬の状況、そして新婦人の活動のについて振り返り、新たな1年の計画をたてました。

アメリカイラク攻撃にともなって危機管理対策本部が設置され、綾瀬が戦争と隣り合わせにあること、プラスチックゴミの分別のことや東名インターのこと、69歳の方の医療費助成制度が廃止される一方、就学前までの子ども医療費が助成されるようになること……。

綾瀬のこの1年の動きをまとめて見直せる、とてもいい機会になりました。


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6月2日  地方 東京都町田市::共産党:高嶋 均氏(未評価)の新着リンク 


6月2日:5149:今昔物語「いたずら河童の贈り物」


36.いたずら河童の贈り物
町田の村々には小さな溜め池があちこちにあった。

それは田に引く水を溜めていたのだが、みな山際などの谷あいや、水がじくじくわき出るよう暗いところばかりだったので、そんな池には決まって河童がすんでいたものだ。

「薬師池は広くて明るいよ」って言うのか、いやいや薬師池だって明るくはなかった。

それにな、大きな池にはオロチや竜が住んでいたので、恐ろしくて河童などとても近寄る事は出来なかったんだ。

今日は、その河童の話の中から小山田の池に住んでた河童の話をすることにしよう。

上小山田の谷戸池のそばに『かぎ引石』と言う小さな石があったそうだ。

昔その石の上に小さな子どもが腰掛けていてな、一人で通りかかった人を見ると「おれとかぎ引きをしないか」と呼びかけるんだそうだ。

かぎ引きと言うのは指と指をかぎのようにひっかけて引き合う遊びだ。

通行人にしてみれば相手は子どものことだもんで「それは面白いな、よし一丁やるか」とつい気軽に引き受けてしまう。

ところがどうだ。

子どもの力は強くたちまち池の中に引き込んでしまうんだと。

そして引き込まれたものはみんな生きては帰ってこれなんだと。

そこで村のものがいろいろ調べたところ、この子どもは谷戸池に住み着いている河童だと言うことが分かり、これが近在近郷に知れわたり評判になるやら、こわがられて通る人もいなくなるやら。

困り果てた村の人たちは寄り合いを開き河童を退治する勇気のあるものを探すことにした。

すると協力無双と評判の小川虎之助と言う男がさっそく名乗りを上げ村役人に告げたんだと。

「それはけしからん事だ。

よし、わしがその河童を退治してやろう」と。

虎之助はそう言うと、一人馬にまたがり谷戸池のそばをゆっくり通っていった。

そうすると案の定、子どもが出てきて「かぎ引きをしよう」と呼びかけてきた。

虎之助は馬上から「よしやろう」と言って、指と指を組み合わせるやいなや馬に鞭打ってまっしぐらに走り出したんだと。

この馬の勢いにはさすがの河童もひとたまりもないわな。

ずるずる、ずるずる引きずられて、どうもがいても勝ち目もなく助かる術もない。

丘に上った河童とはまさにこういうことを言うのだろうな。

苦しさに耐えかねた河童は息もたえだえに「お助けください、実はわたしは谷戸池に住んでる河童です。

何とぞ命ばかりはお助けください」と自分の身分を明かして馬上の男にお願いした。

ところが虎之助はそんな願いは聞き入れず、「何を申す、今まで数々の不埒な行い許すことはできない」と言ってさらに馬に鞭を入れた。

これでは本当に殺されてしまうと思った河童は「助けていただければ骨つぎの秘法を教えます」と、苦しい息の下から申しでた。

それを聞いた虎之助は馬を止め、指はそのままで「そのような秘法をどうしてしっているのだ。

本当に知っているなら今ここで伝えてみよ」と、きびしい顔で河童に申し伝えたんだと。

すると河童は細い足の骨を見せながら「おれたちは片足でも水の中であれば強いのだが、陸の上ではこれ、このように弱く、すぐ折れてしまいます。

そこでまず覚えるのが骨接ぎなのです」そう言いながら、河童は馬に引きずられて折れた足の骨を虎之助の見ている前で見事に直し、その秘法もていねいに教えたんだと。

「これは疑って済まなかった。

これで多くの人を助ける事が出来るのでおまえの罪も許してあげよう。

しかし、ここにいたらまた何時いたずらするやも知れぬので、どこか遠くへ立ち去るがいい」そう言って指をはなしてやったんだと。

よろこんだ河童は何度も何度も頭を下げながら池の中のアシの陰に消えていったそうだ。

虎之助さんは村で骨接ぎの仕事をはじめたが、とても見事な腕前なので村中の評判になったそうだ。

でも小さな村では患者さんも少ないので、江戸に出て本格的な接骨院を開業したところ、ここでも評判のお医者さんとなり繁盛したんだそうだ。

これで河童にもらったありがたい贈り物の話はめでたしめでたし。

「ああ、河童はどうしたか」って言うのか。

河童もちゃんと約束を守ってな、柿生にある池にうつり、おとなしく静かに暮らしたそうだ。


2003.6.1船橋
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6月3日  地方 神奈川厚木市::未調査:高田ひろし氏(未評価)の新着リンク 


6月3日:11817:ケニア(6)

厚木市議高田ひろし通信ontheweb
友人のケニア便り・その6ですケニア便り(その6:98年12月2日号)
日本の学校は4月に始まり3月に終わるけれども、ケニアの学校は、カレンダー通り1月に始まり12月に終わる。

最後の第3学期は8月末から始まるが、11月中旬には終わってしまうので、3つの学期で一番短い。

さて、その短い3学期のど真ん中に行われた教員のストライキがケニアの色々なことを浮きぼりにしたので、そのあらましをまず書く。

また、休みに入ってからたまたま入ったディスコで感じたこともまとめてみたい。


1.教員組合のストライキを巡って
ケニアの公立の小学校と中学校の教員は、教育省の教員サービス委員会(TSC)から学校に派遣されるという形になっている。

教員の配属先も給料もその教員サービス委員会が決定している。

一方、約26万人いると謂われる教員たちは、ケニア教員組合(KNUT) を形成している。


私がケニアに派遣される前の1997年10月、ケニア教員組合は全国規模のストライキを行ない、5年間で150〜200%の賃上げ(勘違いしやすいけど、つまり2.5〜3倍です)を政府、TSC側に約束させた。

ところが、今年6月、ケニア政府が翌会計年度(7月から6月)の予算発表の時、財源不足を理由に、賃上げの凍結(年4%の定昇のみ)と今後3年間で6万6千人の教員数の削減とを宣告した(この時の政府資料にあった教員の給料合計と教員数から教員の平均給料を計算すると、現在の平均給料は年間十数万シリング、約30万円でした)。


これに反発した教員組合側が、10月5日(月) から再び全国規模のストライキに突入した。

結局、10月20日(火)のケニヤッタ記念日(ケニアの初代大統領ケニヤッタを記念する祝日)にキリスト教の牧師たちの仲裁によって、教員組合側は何も獲得しないままこのストライキは中止された。


まず、去年なぜ政府側が150〜200%もの賃上げを認めたのか。

ケニアでは、毎年10月末から11月にかけて、小学校卒業認定試験(KCPE) と中学校卒業認定試験(KCSE) が行われる。

このたった各1回の試験結果でその後の進学や就職が決まる。

したがって、この試験の直前からストライキを始めこの試験ができないぞと脅かすと、その年の卒業生の進路が決められないので大きな圧力になる。

それに加えて、昨年末にケニアの大統領選挙が行われたが、教員は各地域で影響力があるので、大統領は教員の支持を得ておく必要があった。

こうした背景のもとに、賃上げが認められたと言われている。


では何故、その賃上げを政府は撤回したのか。

今年10月、与党議員が何故昨年認めた賃上げを今年に入って撤回したのかについて、新聞に投稿していた。

その内容は、今年に入ってから、外国の援助国政府や国内の関係者も交えて検討してみたら財政的に不可能なことが分かったからというもので、ようするに昨年はあまり考えていなかったと言っているようなものだ。

ということで、一旦約束をしておきながら、選挙が終わった今年その約束を一転して反古にしてしまうケニア政府は、とても問題が多いと思った。


一方、ケニアにも国会があり、6以上ある野党の中のある議員から、この教員の賃上げや経済政策の失敗など様々な理由で大統領に対する不信任案が提案され、10月15日に議論された。

しかしこれは、賛成67、反対137、棄権6の大差で否決されてしまった。

国会の議席数222の内与党議員は113しかいないので、野党側議員の多くが信任に回ったことになる。

真偽の程はともかく、この裏ではお金が動いたとも言われている。

そこで信任に投票した野党議員のコメントも新聞にのっていた。

そのコメントは、複数政党制の民主的な国会では勢いが重要で、国会で負けてしまうと今後の活動に支障がでるからという、非常に分かり難い説明がなされていた。

簡単にいえば、勝ち馬になりたかったということらしい。

また、ケニアの多くの政党は特定の民族と結びついているので、政党同士が結束すると言うことは非常に難しいらしい。

これも野党がまとまって不信任案に賛成できなかった理由の一つと考えられる。


このストライキを通じて、ケニアの政治が置かれている状況を見ることが出来た。

また自分の生徒や同僚の先生たちも論理的に説明するのが苦手だし、責任という感覚に乏しいと思うが、政治家も同じようなものであると思わせる一連の出来事だった。


大統領の不信任案が否決され、ストライキは勢いを失った。

そして10月20日(火)ケニヤッタ初代大統領記念日に、教員組合側の全面敗北という形で終わった。

その結果、10月21日(水)から予定されていた中学校卒業認定試験(KCSE) と引き続き11月に予定されていた小学校卒業認定試験(KCPE) は、滞りなく行われた。


当初、一般の組合員たちは実に強硬で、組合の事務局長が政府との話し合いを持つことさえ妨害していた。

組合のリーダーが不在とも言える状況で、収拾は不可能かとさえ思えた。

それを収拾したのはキリスト教の関係者だった。

それくらい、ケニアではキリスト教の牧師は尊敬され、影響力があると認識させられた一幕でもあった。


また、この昨年からの賃上げ闘争は、小学校の先生たちが中心になって進めていた。

その理由は、
(1)小学校の教員は無資格または低資格の教員が多いために給料が安く、賃金に対する不満が大きい。

.
(2)組合は全員参加の義務ではないが、上記理由から小学校の方が組合への参加率が良い。


(3)小学校の先生はその学校近くの出身の人が多く、校内で仲間意識も強いのでまとまりやすい。

それに比べて、中学校はその出身地域がバラバラで、私の学校では出身民族も分かれていて、仲間意識が弱い。


(4)(3)に加えて、小学校の先生は地域のリーダーとも関係が深く、協力が得やすい。

学校では、先生と地域の人々がバラバラで先生がストライキをした場合、地域の人からの反発も得やすい。


(5)小学校の教員の方が数も多いので、組み合いの中での発言力が強いだけでなく、地域に対しても影響力が強い。


これらが、新聞を読んだり、同僚に聞いて分かった主な理由だ。

こうした話も、ケニアの人たちの人間関係、地域との関係が見えてきて面白かった。


最後に、実は私の学校はP








6月4日  地方 大阪府門真市::未調査:戸田ひさよし氏(未評価)の新着リンク 


6月4日:4481:新滑り台

▼滑り台が新品になり、子ども達も大喜び!!2003/05/12:ある保育園の保護者「ある保育園の滑り台が劣化!!子どもに危険が!!」を投書させて頂いた保護者です。

5月9日より保育園に新しい滑り台が設置されました。

以前の滑り台より大きく滑るところが2つになった滑り台です。

12日の朝、保育士によって囲ってあったロープが外されました。

その周りには滑り台を楽しみに待つ子ども達が数十人。

新しい滑り台に子ども達は大喜びの様子です。

保護者としても安心です。

しかし昨年11月、門保連主催の対市懇談で滑り台の状態について行政の方にお伝えしその後、行政の方が滑り台の劣化状態を確認に来られたようで(門保連によるとこれまでにない動きだそうです)、「3月で予算がつけば改善できます」と中東前福祉部長が門保連に回答されたようで、曖昧な回答に保護者は「多分なにもしないだろう」と諦めた雰囲気でした。

保護者会でも長期にわたって「老朽化したところを点検し、直ちに改善して欲しい」と要望書に記されていました。

しかし行政からは何の音沙汰もない状態で、滑り台は改善されないままでした。

そこで戸田さんに相談したわけですが、確実に動きがあったと感じました。

これを機会に保護者として今後の要求の仕方や動き方を考えていかなければと感じました。

今日はきっと子どもから新しい滑り台の話があると思います。


▼Re:滑り台が新品になり、子ども達も大喜び!!2003/05/13:Kママ滑り台が新しくなっているのをみました。

いろいろ対応して頂きまして有り難うございました。

厚かましいでしょうか?滑り台だけでなく他の遊具も古くなってきているので、徐々に新しいものに変えていって頂けたらと思います。

それと最近児童公園の遊具が消えています。

どうしてでしょう?増やすならともかく無くなるのは困ります。


▼よかった!情報が遅いなら市をつつきましょう。

それとkママさんへ2003/05/14:戸田ステキな滑り台になったみたいでよかったですね。

以前のヤツの写真はココ↓http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/1/kadoma-gyo/hoikuen/suberidai.htm>「3月で予算がつけば改善できます」と中東前福祉部長;@これはちょっと慎重すぎる回答。

「ウソではないが親切でない」の典型。

それに、予算案が可決されたのなら、いつくらいに新しくなるか保護者にすぐに教えてあげるべき。

児童課が気が利かないのか保育園側が保護者に伝えていなかったのか。

>曖昧な回答に保護者は「多分なにもしないだろう」と諦めた雰囲気でした。

>何の音沙汰もない状態で、滑り台は改善されないままでした。

@どうか諦めないで、しつこいくらいに役所に問い合わせしていくことが大事です。

その際に電話に出た職員の肩書きと氏名、話の内容をその都度メモしておくのがポイントです。

納得できないことがあったら、どうぞ戸田までお気軽に連絡して下さい。

(事実経過のメモがその時に大事です)特に子ども安全に関わることは、役所も無視できませんから必ず対応していくはずです。

(事故があれば役所の責任問題にもなるので)ただその場合でも保護者の気持ちに添った説明の仕方をするのが「非常に不得手」なので、保護者からすれば「何がどうなっているのかさっぱり分からない」となることが多いと思います。

>これを機会に保護者として今後の要求の仕方や動き方を考えていかなければと感じました。

@そうですね。

保護者が声を上げていくこと、役所の対応を公開しながら議論や意見交換をしていくことが大事だと思います。

それがあればきっと役所の対応を良くしていくことができますし、役所の中の「心ある職員達」も仕事がやりやすくなると思います。

Kママさんへ。

>それと最近児童公園の遊具が消えています。

どうしてでしょう?増やすならともかく無くなるのは困ります。

@各地で事故が発生した遊具(例えば箱型ブランコなど)は撤去されるでしょうが、それ以外にも消えているのでしょうか。

役所に聞いてみて、わかったことをこの掲示板に書いていきますので、少しだけお待ち下さい。

それではまた。


P


6月3日:4352:不法投棄が増加!

▼市も警察もタルんでる!ゴミの山そばに不法投棄が増加、放置車両までも!昨年7月の山本組社長逮捕の時以来、市、府、警察の努力によって周辺の歩道や通路が非常にスッキリし、ずっときれいに保たれてきた。

昨年12月23日の現場撮影の時にフェンスそばにゴミの不法投棄が少し起こってはいたが、従来の市、警察の姿勢からすれば適宜処理してきれいに保ってくれるものと思っていた。

ところが、現実には不法投棄のゴミが増えて洗濯機やロッカーなども投棄され、さらにフロントガラスを割られたのダンプ(ナンバープレート付)や原付スクーターが裏手放置され、山の真向かいの道路上にはミラーが壊されボンネットがへこまされた軽自動車(これもナンバープレート付)が道路を不法占拠しっ放し、という状態になっていた。

(戸田が5/30に現場の写真を撮りに行って確認。

4月の選挙あたりまではこれほどひどくなかったはず。

ひどければ写真撮影などしているはずだが、詳細は記憶にない)山本組ゴミの山問題を担当する「環境整備部・環境政策課」で職員に話を聞いてみると、どうもこのゴミの山を「門真の恥部」として重点課題・重点取り締まりポイントと認識しているような感じがしない。

再三の議会答弁で、この件を教訓として不法投棄の早期発見・早期対処が大事、という姿勢を示していたはずなのに、有罪判決が出て「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということだろうか?今の環境センター政策課の実態としては、・現場の見回りは週に1回か2週に1回くらいしている。

*ただし、記録を付けていないので、例えば「この洗濯機や車はいつからどこに置かれたか」、とか車のナンバーや特徴などの記録もない。

(!)*「時には現場写真を撮る」が、それを見せてもらうとゴミの山の正面フェンス側だけで、その真向かいで道路を不法占拠している軽自動車も写していないし(ここは「道路公園管理課」の所管!)、裏手のダンプや原付、ロッカーの不法投棄も写していない(ここは道路公団の所管!)。

何ともはや、驚くべき「縦割り意識」である。

これでは「ゴミの山とその周辺状況はどうなっているのか」ということはさっぱり分からない!いつどういう変化が起こったかも分からないし記録にも残らない。

・不法投棄のゴミが道路や歩道にたまってきたら、「道路公園管理課」に連絡して回収してもらっている。

*ということは、5/30に戸田が見た状況程度では「まだ大したことはない」という認識でいるということになる。

そういう甘い認識が「ゴミゴミを呼ぶ」ことを許してしまうのではないのか?●昨年は約半年に渡って不法投棄をビシッと押さえ込んできた環境政策課や門真警察の、この「姿勢の緩み」は重大な問題であると思うので、ゴミの山問題を「当面のご注目」の特集記事として現場写真付きで復活させるとともに、6月議会一般質問でも取り上げていくことにする。

HPでのアップはおそらく本日中にできるのでご注目下さい。

●なお、この不法投棄増加について、環境政策課の話では「市民からの撤去要請は全くきていない」とのこと。

周辺住民は「ゴミのある風景」に慣れっこになってしまったのだろうか?警察や市にぜひ苦情や要請をぶつけていって欲しい。

それにしても、またしても「五味ビル」の目の前で不法投棄が増やされているわけだ。

戸田なら「オレのうちの目の前で舐めたことするんじゃねえ!」と怒りまくるけどなぁ。


【今までの経過】◆現場写真2002年7月22日撮影★現場の様子非常にスッキリした周辺の歩道や通路http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/8/gomi/yamamoto3-7.htm◆現場写真2002年10月9日撮影歩道部分は、ずっときれいに保たれている。

市、府、警察の努力の跡。

http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/8/gomi/yamamoto3-10.htm◆現場写真2002年10月30日撮影http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/8/gomi/yamamoto3-10-2.htm◆現場写真2002年12月23日撮影◎フェンス外に全く別の不法投棄が少し起こっているhttp://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/8/gomi/yamamoto3-12.htm
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6月8日  地方 神奈川逗子市::未調査:長島一由 逗子市長氏(未評価)の新着リンク 


6月8日:25339:日刊長島

▲Home■Search■Log変わらない信念。

進化するプロセス。


■お引越し。

Date:2003/05/29(Thu) 22:43このたび、4年半にわたり住んでいた逗子マリーナから、同じ逗子市・小坪の借家に引っ越すことになりました。

今日も、公務を終えたあとは引越しの準備をしておりましたが、週末を利用して転居します。

転居先は同じ小坪のため、電話番号(0467―23―5318)は変更ありません。

余談ですが、今住んでいるマンションは、住宅ローンを組んで無理して購入した物件。

海が一望でき、大変気に入っていたので、ここを離れるのは多少さびしい気がする一方で、サラリーマン時代と違って今の仕事柄、借金が無くなることで大変気が楽になります。

いずれにしても、引越しのためパソコン環境が整うまで多少時間を要することから、1週間ほど、「日刊長島」をお休みさせていただきますので、宜しくお願い致します。


■JR逗子駅北口。

Date:2003/05/28(Wed) 22:11今日は、市民部の市長ヒアリングを行ないました。

ヒアリングの内容は、市役所の代表電話番号以外のダイレクトインの窓口を設置する検討や、情報公開制度のさらなる改善、路上駐車への改善対応の取り組みなど、ほぼ終日かけて行なったところです。

ところで、市の広報誌「広報ずし」の電話調査結果が報告されました。

広報ずしを読んでいる割合が平成12・13年度はともに94.2%で推移してきましたが、2003年3月31日現在の調査(調査対象200件)では、微増して95%。

この95%のうち、昨年9月からの紙面のサイズや発行回数などの変更について1.A4版化について・良い199人・以前の方が良い22人・どちらでも良い49人2.月2回の発行について・良い80人・月1回が良い36人・2回のことは知らなかった54人・無回答20人3.読みやすさ・良い98人・以前の方が良い22人・どちらともいえない65人・無回答5人なお、広報ずしを活用しているか?(市の情報を知る、催しに参加するなど)については・はい121人・いいえ64人・無回答5人どれくらいの逗子市民が広報誌を読んでいるかは、数字だけを捉えればかなり多くの方に読んでいただいているようですが、広報機能を適正に果たしているかについては、これからさらなる工夫を重ねていかねばと考えております。

最後に、先日、苦情の多かったJR逗子駅北口の緊急改善に伴う、横断歩道の位置ですが、逗子警察署と協議した結果、近いうちに改善されることになったと都市整備部から報告を受けました。

また、階段を降りた場所の転落防止の柵の強化についても、JR側で対応することになったとも報告がありました。


■市長ヒアリング。

Date:2003/05/27(Tue) 23:52昨日から、市長ヒアリングを行なっております。

テーマは、逗子市のHPに公開されているとおりです。

http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/kikaku/hearing/hearing.html今日も日中はほとんどの時間を、総務部とのヒアリングの時間に充てました。

夜は夜で、いつものように大学で講義をしてきましたが、今日は黒澤明監督の「生きる」を教材として活用しました。

それまで30年間いわゆるお役所仕事をしてきた市民課長が、胃がんで死を意識してから、仕事に目覚めて、まちの公園づくりに奮闘するというストーリー。

かつても紹介したことがありますが、本市の上山信一経営アドバイザーも、公務員研修に一押しの映画作品です。


市民全体会議&湘南ベンチマーク。

Date:2003/05/25(Sun) 09:13昨日は、午前中は市民の誰もが参加できる市民全体会議。

そして、午後は、鎌倉市で開催された藤沢、鎌倉、逗子の3市共同で行なっている「湘南ベンチマーク」のシンポジウムに参加しました。

市民全体会議は、今まで最も参加者が多かった気がしましたが、平成15年度予算と事業の説明と質疑、そして、総合的病院の進捗状況について説明及び質疑を行ないました。

湘南ベンチマークでは3市が共同して、これまで「海」、「やさしさ」をキーワードに、中学生を対象にインタビューをしながら、指標を作ってきました。

今回も、3市の中学生がシンポジウムに参加。

川口鎌倉女子大学助教授が基調講演のあとコーディネーターを務め、山本藤沢市長、石渡鎌倉市長、そして私と、中学生らとの意見交換会が行なわれました。


■まちづくり基本計画準備研究会報告書。

Date:2003/05/22(Thu) 21:43逗子市まちづくり条例に基づく「まちづくり基本計画」の策定に向け、その作成過程における市民参加・参画、意見反映方法、市民と市との役割分担などについての研究、検討を市民の皆様におこなっていただくために、まちづくり基本計画準備研究会が設置され、実に25回にわたる会議が開催されてきました。

そして、今晩、谷会長からまちづくり基本計画準備研究会報告書を受け取りました。

報告書では、市民と行政のパートナーシップが強く謳われ、一例として今後のまちづくり市民会議へのさらなる市民の呼びかけも、市民が駅でパンフレットを配ることも検討されているなど、これからの取り組みにも大変な熱意が感じ取れます。

今後の市民と行政の協働の在り方を鋭意検討していただいたもので、コミュニティー・シンクタンクや、地域通貨などの取り組みにも役立てることができればと切に思います。

参加された市民の皆様のご努力に深く感謝させていただくと共に、これからもご協力をお願いさせていただいたところです。

これまでの議論については、逗子市のサイトの以下のアドレスに記載されています。

http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/toshikeikaku/
■市長市政相談日ほか。

Date:2003/05/20(Tue) 23:11ITの推進本部会議のほか、今日の午後は市長市政相談日ということで5グループの市民の方々と意見交換させていただきました。

また、夜は大学の授業で主に、行政評価システムについて講義してきたところです。


■小・中学校「学区希望制」開始決定ほかDate:2003/05/19(Mon) 22:29昨日の逗子海岸のアサリの潮干狩り&海岸クリーン作戦に出かけ、挨拶をしてきましたが、約7000人の参加と大変盛況でした。

潮干狩りには、開始の午前11時半から30分遅れて家族と合流し、くまでを購入してトライしましたが、ときすでに遅し、1つしか取れずにあとは娘とヤドカリばかり捕まえては遊んでおりました。

ところで、今回は、久方ぶりに逗子市以外での月刊長島のP








6月6日  地方 大阪府::未調査:西脇くにお氏(未評価)の新着リンク 


6月6日:9157:医療福祉・暮らしのネットワーク:西脇くにお


事務所:大阪市生野区田島1-2-23tel06-6757-9203fax06-6758-5534
大阪府議会控室:「民主党・府民ネットワーク」tel06-6941-0351(代表)内線3391tel06-6941-0219(直通)fax06-6941-8411
E-mail:kaz240@h2.dion.ne.jp
1954大阪市港区に生まれるゼロメートル地帯
1960第2室戸台風で床上浸水
1970大阪万博中学、高校とサッカー一筋
1972高校の仲間とボランティアグループ「まへん」を結成
1973府立大手前高校を卒業生野子どもの家建設のお手伝い大阪大学工学部機械科入学(中退)
1974上田卓三さんの参議院選挙を手伝う教育大の友人と「あおぞら学級」でボランティア
1979[8月]東大阪市の雇用開発センター、シルバー人材センターで高齢者問題に取り組む
1989台湾戒厳令後の民主進歩党と交流
1991生野区から府議会初挑戦13153票とるが324票差で惜敗
1992東大阪の仲間と訪朝白頭山、金剛山の頂上。

板門店に立つ
1994[7月]GIO経済クラブ発足[10月]京都堀川病院早川一光先生の「老いとつきあう」講演区民センターに400人
1995[4月]19143票でトップ当選「医療福祉、くらしのネットワーク!」[9月]初めての個人質問。

FMCOCOLO開設大阪府の情報を他言語で!
1996[2月]代表質問インターネット大阪府ホームページを![6月]大阪府ホームページ開設[7月]ソウル市会議員と交流「ワールドカップ準決勝は大阪で!」[9月]日韓議員連盟で済洲島。

知事訪問「2才まで生野区猪飼野東に住んでいました」とあいさつされて驚く。

[10月]ノックフォーラム議員団を結成ラジオ番組「これがNOCKだ!」ラジオ大阪毎週(土)PM4:00〜4:30をスタート
1997[6月]大阪府ホームページアクセス10万件[8月]「これがNOCKだ!」応援パーティに1000人[9月]生野少年サッカー連盟結成6チームが参加
1999[4月]地方統一選挙18,908票2期目当選[5月]新政会結成。

政調会長、商工農林委員長[6月]ヨーロッパへ自賛渡航海外視察が財政難で自粛。

オランダの日本人学校、アンネフランク小学校、ドイツの介護保健施設、ベルリン清掃公社(民営) などを見学[9月]先進的な情報教育地域ネットワーク事業(郵政、文部のプロジェクト)を松原、八尾、柏原でスタート民間のe-kokoro協議会と発足。

1.5MBの高速で小中学校をインターネット接続。

[12月]別府、オムロン太陽の家の福祉工場を見学[12月27日]ノック知事辞任
2000[2月6日]太田ふさえ知事誕生[2月10〜12日]台湾の被災地激励に訪問。

日華議連代表国の一員として[2月15日]特養ホームいらか完成(巽南)[2月21日]民主党府民ネットワーク議員団へ参加[2月25〜27日]済州島へ生野フットボール連盟と遠征
2001[3月23〜26日]生野フットボール連盟済州道へ遠征[8月13〜18日]国際協力事業団派遣の義弟をたずねてマニラへスモーキーマウンテンを息子たちとたずねる
2002[3月5日]代表質問。

日韓国民交流年、男女共同参画条例など。

「3月23〜24日]済州道へ生野連盟と遠征[3月26〜4月1日]オーストラリアの中福祉、中負担の視察クイーンズランド州にたちよる[4月29〜5月3日]生野ワールドカップ前夜祭、1000人が集う[6月8日]ソギッポで中国、ブラジル戦を観戦[6月14日]日本代表チュニジアに勝利、道頓堀が青く染まる[10月12日早川一光講演会「畳の上で大往生」在宅介護家族の会ホームヘルパー養成280人超える
2003[3月20日]生野連盟ソウル遠征イラク戦争のため中止に[4月13日]15403票で3期目当選[4月17日]地元の障害者施設豊生園が開設。


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6月6日  地方 福岡県古賀市::未調査:ぬま健司氏(未評価)の新着リンク 


6月6日:3039:UntitledDocument

2003年6月議会・日程が決まりましたぜひ傍聴に来てください!<日程>6月10日(火)午前9時本会議6月11日(水)午前9時半総務委員会6月12日(木)午前9時半文教委員会6月13日(金)午前9時半建産委員会6月16日(月)午前9時本会議6月17日(火)午前9時一般質問・松島岩太・内場恭子・豊田みどり・新町直子・西尾耕治6月20日(水)午前9時一般質問・芝尾郁恵・黒木敦・仲道誠明・清原留夫・木村憲子6月23日(月)午前9時一般質問・前野早月・ぬま健司・阿部友子6月25日(水)午前9時本会議(最終日)<主な議案の審議方法>住民基本台帳ネットワークの第二次稼動にむけて、カードを500円で発行しようという「手数料条例」の改正議案があります。

この議案は総務委員会付託となりました。

今期は私は総務委員となりましたので、この議案については特に慎重に審議します。

プライバシー保護は大丈夫か、カード発行のメリットはあるのかなど市民の声を反映します。

<請願書>「『30人以下学級』の実現を柱とする新たな定数改善計画の実施と義務教育国庫負担制度の堅持を求める意見書提出に関する請願」(紹介議員はぬま健司、清原留夫)は文教厚生委員会に付託されます。

「国立病院の独立行政法人化にあたり、賃金職員の雇用敬称と医療・看護体制の充実、病院内保育所の継続に関する意見書の提出を求める請願書」は文教委員会に付託されます。

<ぬま健司の質問通告>(1)アートタウン構想と市長の政治姿勢を問うアートタウン構想には中村市長の地方自治や市民生活に対する認識不足が感じられる。

市政運営の基本に関する問題として質問する。

@政策形成過程と市政における位置づけは。

市民、議会、職員の理解も得られていない」との12月議会答弁はこの構想が未成熟であることを示したのでは。

A12月以降の説明経過と市民の反応、執行状況は。

今後もこの構想の具体化を重視するのか。

産業振興、地域巡回バス、30人以下学級、ゴミ問題にこそ陣頭指揮を。

Bこの構想が永年に亘って様々な課題を解決する共通のバックボーンといえる根拠は。

国政との矛盾の打開、地方の自主的自立計画の確立に向けた政治的リーダーシップこそ必要ではないか。

(2)市交際費の基準と公開について政治と金、税金の使い道について市民は厳しく見つめている。

議員も市長もこの問題に積極的に応え、市民から信頼される市政をめざさねばならない。

今回は市交際費を取り上げたい。

私は昨年9月の決算委員会で、交際費の基準の明確化と公開を提起している。

市長の明快な答弁を求める。

@市交際費の性格をどのように認識しているか。

その予算額、決算額の推移はどうなっているか。

A交際費の取り扱い指針、支出基準額などの検討は進んでいるか。

どのような内容になっているか。

B市交際費については、毎月の執行状況をホームページで公開すべきと考えるがどうか。

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6月6日  地方 佐賀県知事::無所属(自民党推薦):古川康 佐賀県知事 氏(未評価)の新着リンク 


6月6日:6188:週刊yasushi6月


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2003年6月3日(火曜日)第003号「スキー場とハウンドドッグとラベンダーと」このあいだの日曜日、天山スキー場にでかけた。

といっても、もちろん春スキーではない。

古湯の森音楽祭というイベントの中のハウンドドッグのコンサートがお目当てだった。

県職員である知人が、このイベントに関わっていて、ぜひきてくれといわれていたからだった。

ハウンドドッグといえば、ff(フォルテシシモ)という誰でも知っている曲を別にすると、なかなかなじみがない。

僕自身は、ずっとサザンオールスターズの応援団に入っていて、コンサートのおっかけをしていたけれど、ハウンドドッグは初めてだった。

着いたのは開演5分前。

大友さんにご挨拶し、その脇をふとみたら、南こうせつさんがいた。

よく考えたらその日のコンサートは「ハウンドドッグwith南こうせつ」だった。

南さんはさすがに大分にいるだけあって、「古川です」と挨拶したら、「大分も知事さん代わりましたんでよろしく」という答え。

なんとなく、雰囲気わかるでしょ。

コンサート自身は、楽しかった。

長くこの業界にいる人独特の内輪ネタもあるし、MCもそこそこおもしろい。

おかしかったのは、どうみても妙な取り合わせとしか思えないこの両人のコンサートで、どうやら陣取り合戦があっていたような雰囲気だったことだった。

レフトウイングとライトウイングに分かれて、「こうせつ派」と「ハウンド派」が対峙しているみたいな感じ。

詳しい事情は聞いてはいけなさそうだったけれど、あれはなんかあったな。

さて、会場は天山スキー場。

ここの社長が、地元のためならと今回、無料で場所を提供してくれていた。

ここの社長さんはスキー界ではちょっとした人。

しかも、「古川さん、スキー場のレストランはカレーが勝負。

だから、うちのカレーはちょっといいよ」ということをのたまう経営感覚に富む人でもある。

その社長さんからおみやげもらったのが一本のラベンダーだった。

「古川さん、向こうの方をごらんなさい。

あそこに車が走っているでしょ。

あの一帯に2,000株、今ラベンダーを植えてるんだけど、来年はそれを20,000本にするからね。

うちはスキー場だから、観光バスの駐車場はたくさんある。

だから、どれだけお客さんが来ても大丈夫。

そして、ラベンダー園は、無料にして、みんなに見てもらうから。

こっちはグッズとレストランでお金が取れればいい。

もうすぐ道路ができるしね」社長の話はいつ聞いても楽しい。

一本のラベンダーを手に僕はコンサート会場を後にした。

次の日程があって、アンコールまでは聞けなかった。

大友さん、「涙のバースデイ」やってくれたかなあ。

僕はそのラベンダーを公舎の庭に植えた。

このラベンダーが来年の花咲く季節をきちんと迎えることができれば、そのときには天山の山麓にも2万本のラベンダーが咲き乱れていることだろう。


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