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1月10日  元衆議:愛知4区:共産党:瀬古由起子氏
1月5日  参議:比例:民主党:小宮山洋子 氏
1月6日  衆議:神奈川:社民党:阿部知子氏(未評価)の新着リンク 
1月6日  参議:北海道:共産党:紙智子氏(未評価)の新着リンク 
1月5日  衆議:長野:社民党:山口わか子氏(未評価)の新着リンク 

1月10日  元衆議:愛知4区:共産党:瀬古由起子(評価:70点)の新着リンク 


1月10日:10398:1月9日(金)健康診断は「条件付」合格です「17回わかば展」準備:ひまわりレポート:せこゆきこWebサイト


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<<ひまわりレポートのインデックスに戻る1月9日(金)健康診断は「条件付」合格です「17回わかば展」準備健康診断は「条件付」合格です今日は人間ドックで「要注意」「要精密検査」などとチェックされた腎臓病、糖尿病、骨密度、子宮ガン、甲状腺ガンの疑いなどは今日の再検査で「食生活の改善」「睡眠をよくとって」などという条件つきでクリアできました。

今日診察を受けた南生協病院では夫も「肝臓ガンの疑い」も晴れたため夫婦そろってやれやれです。

病院の玄関スペースでは「イラクの写真展」が行われており、ゆったりした気分でみながら、いよいよ「平和のためにたたかうぞ!」と決意新たにしたのです。

私は「食生活の改善」といわれながら夫は「おなかがすいた」といって大判焼きをたくさん買ってきたのでついつい・・・お医者さま、今日はごめんなさい・・・ところで昨日も大判焼きを食べたっけ。

絵画グループ「わかば」の17回目の展示の準備防犯のために映像付インターホーンを買ったり、夜行バス用のエアー枕、庭の花壇の花を買いに出かけました。

その後、瀬戸市文化センターにでかけました。

瀬戸市に私が住んでいた時から近所の主婦たちと始めた絵画グループ「わかば」の17回目の展示の準備がおこなわれるからです。

それぞれが絵を持ち寄って展示します。

私は著書「もういいかい?」の挿し絵の原画展のコーナーをいただきました。

みんなでわいわい言いながら準備をしました。

会期は1月10日(土)、11日(日)です。

午前9時半からです。

ぜひお出かけください。

私も10日の午後には出かけます。

「もういいかい?」挿し絵原画展コーナー山田洋次監督や山原健二郎元衆院議員から年賀状が山田監督は「ぼくも、選挙の結果についてはとても口惜しい思いをしています。

この国の希望の光は、いつ、どの辺に見えるのでしょうね。

これからこそ、がんばってください」は書いてくださいました。

山原さんは病床から「ご健康を祈っています。

“かゆすすりそばこをねって年をこす”“転失気(おなら)を豪放にして申(さる)の年”先日はありがとうございました。

季刊「自治労連新春号」に「もういいかい?」書籍紹介光陽出版の寺岡さんから季刊「自治労連新春号」が送られてきました。

私の著作「もういいかい?」が紹介されています。

「無らい県運動」でハンセン病患者を地域から強制的に排除した自治体で働く労働者のみなさんにもぜひ読んでいただきたい本です。

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日本共産党衆議院議員東海ブロック事務所〒460-0007名古屋市中区新栄三丁目12-27あかつき会館別館電話052-264-0833FAX052-264-0850
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1月5日:10311:1月4日(日)野宿者センターへ荷物届けて:ひまわりレポート:せこゆきこWebサイト


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<<ひまわりレポートのインデックスに戻る1月4日(日)野宿者センターへ荷物届けて名古屋港ガーデン埠頭のOさん港区党東海支部のみなさんが支援物資を集めてくれました。

支部の大西さんが代表して届けてくれ、私がたちあいました。

毛布、男物衣類、タオルなどです。

私は夫の厚手の靴下を持っていきました。

ちょうど港区のガーデン埠頭でテントを張っているOさんとも記念撮影です。

Oさんは、東京出身の野宿生活1年そこそこの新人ですが、名古屋港の20数人の野宿者をリードしてまとめ役です。

50歳になったといいますが、毎日空き缶拾いをして暮らしています。

空き缶やビンなど分別などもきちんとするので築地口の商店街などでは、信頼されていて、店でためておいてくれるそうです。

家族は東京にいますが、生活保護をうければ家族に連絡できない事情があるそうです。

他人に気を使わなくて良い野宿生活が気にいっているといいます。

Oさんのテントを訪問したボランティアにこの西柳公園での越冬活動の状況をきいて、「自分もなにか手伝いを」と泊り込みで仲間のお世話をしています。

「その間、あなたのテントが撤去されませんか?」「仲間が守ってくれています」とニコッと笑顔です。

年末今までに厳しい事情があるのでしょう。

初対面の私にはまだ深くませんか?」と聞くとは話してもらえません。

「一度テントに遊びにきてください。

みんな歓迎します」と招待をうけました。

今日の献立は「豚汁ANDご飯」午前11時ごろで、もう昼食の準備が始まっています。

野宿者が共同で準備しています。

今日の献立は「豚汁ANDご飯」です。

大きな鍋に菜っ葉や白菜を豪快にいれます。

250人分ぐらいつくるそうですが、豚汁は2つの大鍋で間にあうのですが、ご飯はガス釜二つで炊いても8回炊くそうです。

最後に炊き上がる時には、一番釜のご飯は冷めているそうです。

食事は材料の差し入れ、カンパ、教会などの奉仕に頼っています。

トイレだけは仮設を作ってくれました。

マンドリンで「インターナショナル」野宿者の真ん中で古ぼけたマンドリンを弾いているのが日雇い労組の大西さんです。

首に携帯電話をぶら下げています。

大西さんの活動範囲はこの名古屋だけでなくインドやバングラデッシュなどアジア全体に及びます。

在留外国人問題にとりくんでいて私も国会でとりあげたことがあります。

このマンドリンは廃物の中から拾いだしたものです。

それから海外でも持ってあるき路上で歌うと多くの人が集まってくるそうです。

「僕は東京音楽大中退」といいますがその割には、歌もマンドリンもそれほどうまくありません。

この人、実は京都大学出身なのです。

数日後にまた海外にでかけるといいます。

野宿者の真ん中でいっしょに「インターナショナル」を歌いました。

大須観音で300円のお好み焼きを食べて帰りに大須観音によりました。

老若男女いっぱいです。

行列をつくっていたお好み焼き屋さんに私も並んで、300円のお好み焼きを食べて「コメ兵」で古着の着物や帯を見て、オレンジの毛糸の帽子を買って帰りました。

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1月5日  参議:比例:民主党:小宮山洋子 (評価:35点)の新着リンク 


1月5日:3751:小宮山洋子ひまわりニュース

NUMBER1252004年1月5日(月)「新しい年、ネクスト法務大臣、経済団体局長として政権交代へのステップとなる年にしていきます」21世紀になって4年目の今年、9.11以来おかしくなってしまった世界の情勢を、国境を越えて、ひとりひとりが安心して暮らせるものにするための努力の年にしたいと思っています。

日本の中も、元日に小泉総理が靖国参拝をしたこと、自衛隊のイラク派遣など、戦後の日本のあり方を問い直す重要な問題が目の前にある年明けになりました。

みなさんのご意見、お力をいただきながら、安心できる、よい日本、世界にするために仕事をしていきます。

<ネクスト法務大臣としての抱負>昨年12月に発足した第2次菅内閣で、ネクスト法務大臣になりました。

これまでは、弁護士など法曹界出身の議員が務めていたポストですが、今年が山場になる、司法制度改革を、専門家でない立場から、わかりやすく進めてほしいということで、受けました。

これまで日本では、3権のうち、立法、行政は、民の意思を反映してきましたが、司法だけは、国民の手の届かないところにあったといえます。

今回の司法制度改革は、市民が主役の司法をめざす重要な大改革なので、民主党では積極的に取り組んできました。

その最も重要なものが裁判員制度です。

国民が裁判員になり、裁判官とともに参加し、多様な価値観で審理し、国民としての正義実現する制度です。

民主党では、裁判官は専門家として裁判員の判断をサポートする立場にあればよく、裁判員を多数にするべきと主張しています。

政府の司法制度改革推進本部では、裁判官3人に裁判員4人という座長試案が出されていますが、これでは裁判官の立場が強すぎます。

守秘義務の問題や、報道の自由との関連など、課題が多くあります。

この他にも、司法へのアクセスをしやすくする司法ネットの整備、弁護士報酬の敗訴者負担、知的財産訴訟などの改革が進められようとしています。

私たちのための司法制度改革が、わかりやすく進められるよう、せいいっぱい情報をお伝えしますので、どうぞ、ご意見をお聞かせください。

<経済団体局長としての抱負>党務としては、民主党が政権をとれる政党になるため、様々な団体とよいおつきあいをする必要があることから、団体交流委員会が新たに作られ、仙谷議員が委員長に就任しました。

その中の経済団体との交流の責任者、経済団体局長になりました。

しっかり務めていきたいと思っています。

<今年の政治の動き>イラクへの自衛隊派遣、民主党は反対を貫き、国連主導にもどす外交努力をすべきと主張しています。

小泉政権では進まない年金改革、道路公団改革などの問題点も通常国会でしっかり明らかにし、民主党の考え方をわかりやすく提示していきます。

精度をあげたマニフェストを夏の参議院選挙で示してステップをしっかり踏み、次のジャンプで政権交代につなげたいと考えています。

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1月6日  衆議:神奈川:社民党:阿部知子氏(未評価)の新着リンク 


1月6日:4850:生命と自然への愛しみの中から21世紀を

生命と自然への愛しみの中から21世紀を阿部知子自衛隊派遣基本計画決定12月9日、自衛隊派遣の基本計画が閣議決定され、歴史の歯車がまた大きく回ろうとしている。

自衛隊=SelfDefenseArmyという名称は、あくまで日本国民向けであり、既に海外では日本の軍隊=JapaneseArmyと呼ばれて、米国に次ぐ世界第2位の突出した軍事費を持つ我が国の動向に世界中から注目が集っている。

まして10月に入って以降、イラクを占領する米英を中心とした暫定連合行政当局(CPA)に加わる国々への攻撃は日増しに激化し、イラクではゲリラ戦の様相を呈して、戦闘は拡大こそすれ止まる気配を見せない。

日本国憲法は武力によらない紛争の解決を掲げ、その9条に国権の発動としての戦争放棄と軍隊の不保持を謳い、戦後の我が国は軍隊によって他国の人を殺すこと、或いは殺されることなく今日に至っている。

かつてカンボジアでのPKO活動で活動中の二人の日本人が相次いで亡くなられた折に、「国際貢献のために汗は流しても血は流さない」と明言したのは、他ならぬ小泉氏である。

わずか10年余りで今度は国連の停戦合意すらないイラクへ、血を流すこと(危険も)覚悟で派遣を命ずるところまで変わってしまった。

首相をここまで変心させたものは、アメリカとの同盟関係とりわけ米国側の対テロ先制攻撃方針への協力と朝鮮半島有事をにらんでの「国益」であるといわれている。

失われし生命に11月29日にイラク北部での襲撃によって殺された二人の日本人外交官の死は大きな衝撃と悲しみを与えた。

しかし「文民すら殺される危険なイラクであり、だから武装した自衛官を」という論法は真実をしっかりと見てはいない。

この二人の有能で情熱と行動力にあふれた外交官は、本来日本国憲法の禁じた米英軍事占領当局の一員とみなされていたからこそ、狙い撃ちされたのである。

本年7月末に、政府調査団の一員として私がイラクを訪問した折にも、あちらこちらを案内してくれたこのお二人の姿はその時々の会話ともども脳裏に焼きついて離れない。

国連本部の爆破以降は、とりわけ生命の危機をヒシヒシと感じ悩みながらCPAの中で働いていたであろう。

彼らをCPAに派遣したことも含めて、そうした彼らの身の安全を守ることが出来なかった日本政府の責任は大きい。

井ノ上さんには昨年の12月市民調査団としてイラクに行った時にも大変お世話になった。

その時の彼は迫り来る米軍の空爆を前に、人間の盾の日本人参加者の身の安全を守ろうと一生懸命働いていた。

在留邦人の安全を守ることに必死だった彼は、今年の4月から米英の占領政策の中にすっぽり放り込まれて、誰にも守られることなく死んでいったのである。

この戦争が5月1日勝利宣言をあげて以降の米兵の死者も既に400人以上となり、40年前のベトナム戦争の当初3年間の米兵の戦死者数をとうに上回ってしまった。

パレスチナに次ぐ泥沼の中東戦争イラクから始まろうとしている。

アメリカが押しつけようとした「中東の自由と民主主義」のための対テロ先制攻撃はいたずらに死者の数を増やし続けていることは誰の目にも明らかである。

メソポタミア湿原の復元をこうした戦禍のイラクから、12月上旬イラク民主化運動の指導者であるアブドール・アル・リカービさんが日本を訪れ、小泉首相にメソポタミア湿原の復元支援を訴えた。

自衛隊が派遣されるイラクの南東部にはかつて広大な湿原が広がり、ナツメヤシの生産や漁業生活を営む民が多数いたと言う。

1991年湾岸戦争やサダム時代の大型公共事業、そして今回の米軍の攻撃が更に彼らの生活基盤を破壊した。

戦乱の最中に、武器に頼らず自らの足元の大地の豊かさを取り戻そうとするイラクの人々の活動が始まっていると言う。

今回の戦争の今一つの原因が石油の争奪戦にあり、またかつてのサダムフセイン時代も石油を制する者が独裁的権力を築いたのである。

国際社会の思惑もまた豊富な石油をめぐる利権と密接に結びついている。

だからこそ、本当に人間がその土地で生きるための道を自ら作り出す以外にイラクの人々が真に平和を生きる日々は訪れまい。

NGOによる薬品や食料などの生命の支援と併せて、メソポタミア湿原の復元支援は日本が武力によらない貢献を具体化する国としての名誉ある道でもあると思う。

社民党政審会長として去る12月13日の党大会で福島瑞穂新党首の下、私は社民党の政策審議会長となった。

今回の衆院選挙の敗北により、衆参合わせてもわずか12人の少ない議員数となった社民党を根本から変革し、もう一度国民の信を得るに足る政党にしたいと思う。

21世紀は環境こそ重大なテーマである。

人間の生存の根本を脅かす地球環境破壊と拡大する戦争軍拡の流れを押し止め、生命と自然への愛しみの中から新たな21世紀の歩みをつくるべく頑張りたいと思う。

どうか皆さんの御意見・御教示をお寄せください。

(初出:『ともこ通信(「あべともこと共に歩む会」ニュース)』No.442003年12月発行)
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1月6日  参議:北海道:共産党:紙智子氏(未評価)の新着リンク 


1月6日:6910:myut-kakeB

かけある記戻る2003/12/01全道基地問題交流集会2003/10/06保育園の運動会2003/09/08比例キャラバン二巡目2003/07/21政府交渉に参加して2003年12月1日全道基地問題交流集会私は総選挙で、全道各地や千歳、恵庭の自衛隊官舎などで、イラクへの自衛隊派兵反対を訴えました。

十一月二十九日に全道基地問題交流集会に参加しました。

小泉親司日本共産党参院議員の基調講演では、イラク派兵を許さない、有事法制反対の取り組みに元気をもらいました。

平和委員会、道議会での活動報告と各地から十六人が発言しました。

旭川でのイラク派兵反対の取り組みや千歳基地の演習激化と騒音問題。

小樽や苫小牧からは軍港化反対の取り組み。

十勝大樹浜揚陸訓練反対の取り組みや矢臼別演習場の米海兵隊夜間実弾砲撃訓練の激化。

島松射爆場空対地訓練の再開反対と基地撤去の北広島・札幌清田区・札幌市議会の取り組みなど、全道交流集会らしくそれぞれの地域から報告がありました。

青年や高校生の平和運動と韓国の米軍基地反対運動との交流なども報告されました。

イラク日本人外交官二人が殺害されました。

このような蛮行は絶対に許せません。

そしてこのイラクに自衛隊を送ってはなりません。

平和の歌を歌えないから音楽の授業は欠席したい」という自衛隊員の父をもつ中学生、「地下鉄駅前で日本共産党が署名を集めていた、私にもその署名用紙を下さい」と自衛隊員の妻が署名を集めはじめました。

デモ(八日)、学習会(十五日)、集会(二十日)を節目にさらに幅広い運動にしていきましょう。

2003年10月6日保育園の運動会九月二十一日は一番下の娘の保育園の運動会でした。

「忙しいのによく日程があいていたね」とたくさんのお父さんに声をかけられました。

「あいていたのではなく、これるように日程をあけてもらったんだ。

私の代わりに小田一郎さんにお願いした日程もあるんだよ」と説明すると、「さすが日本共産党はたいしたもんだ」と感心されました。

私の保育園の運動会は親が係を分担します。

今年卒園の年長の親だけは係がなく最後の運動会をゆっくり見る事ができますが「親の出し物」をしなくてはなりません。

私のクラスは「道具係」でした。

お父さんの競技では恒例の綱引きで、優勝しました。

親子遠足に続いて二連覇です。

反省会の中で園長が、「この数年間、日曜日なのに仕事が休めなくてお父さんの参加が少なくなっている」「係の準備の会議も、お母さんが参加して内容をお父さんに伝え、当日だけお父さんが係をする」などの実態も出されました。

若者に仕事を」の新しいポスターが話題になっています。

若者失業が深刻な一方で、長時間労働、日曜日も休めない、有給休暇も取れないほど働かされている実態は異常です。

働く者の暮らしや権利を守るルールがないのが日本です。

せめてヨーロッパ並みに「ルールある経済社会」に変えることを提案しているのが日本共産党です。

日本改革の方向をはっきり示している日本共産党の姿を多くの有権者に知らせ、目前の総選挙で前進するために全力をあげます。

2003年9月8日比例キャラバン二巡目十二区キャラバンで宗谷・北見管内を村口てるみさんと四泊五日で回り五日に札幌に帰ってきました。

児玉健次衆院議員、小田一郎比例候補と私の三人で手分けした比例キャラバンの全道一巡が終わり二巡目に入ります。

九月は「地区演説会」「支部主催の演説会」「青年とのトーク集会」「女性キャラバン宣伝」など、様々な行動が予定されています。

ひとつひとつの支部の得票目標達成のための企画にいっしょに参加できるのが楽しみです。

八月は原水爆禁止世界大会の全日程に参加し、台風十号災害対策本部長として現地調査や鴻池防災担当大臣への要請、比例キャラバンとめまぐるしく動き回りました。

今回の台風被害の時も有珠山噴火の時も、「被災者がまたここで暮らしていける気持ちになるよう、住宅などの復興支援を」と要求してきました。

「個人の財産に補償はしない」との姿勢を通してきた政府がやっと住宅再建支援に踏みきりました。

先日、新冠町役場でも「住宅損害世帯に町独自で支援を考えて計算してみたが数億円かかるのであきらめた。

ぜひ国でやってもらいたい」と改めて要望されてきたばかりでした。

全壊した自宅で二百万円、大規模に被災した自宅で百万円など中身は十分とはいえませんが、制度として確立し、充実させていくことが必要です。

世論と運動が政府を動かしたものであり、日本共産党もいっしょに粘り強く取り組んできた成果です。

2003年7月21日政府交渉に参加して7月17・18も両日、来年度予算編成を前に政府交渉に行きました。

児玉健次衆院議員、岩佐恵美・紙智子両参院議員を先頭に、私と新しく比例候補になった小田一郎さん、6人の小選挙区候補が参加しました。

農林水産省、国土交通省、厚生労働省、環境省などと交渉。

季節労働者の命綱である冬期雇用援護制度問題では、職業安定局雇用開発課農山村雇用対策室の平田雅美室長が応対し、各候補が地域の厳しい北海道の労働実態を紹介、制度の存続・延長を強く求めました。

この二日間は、岩佐参院議員の環境委員会での質問(矢臼別演習場の砂防ダム問題)、テレビ放映された佐々木憲昭衆院議員の予算委員会、イラク特別委員会での児玉衆院議員の質問の傍聴ができました。

とても勉強になりました。

傍聴のあと、すぐに党創立81周年記念講演会の日比谷公会堂に行きました。

私たちは5時過ぎに到着しましたが、すでに長い入場者の列に驚きました。

入場整理券の番号は1093番で「入れますよ」といわれてひと安心

6時前から入場が始まり、私たちが入った時には、もう一階は満杯で二階に案内され、それでも前列の方に座れました。

青年の参加が目立ちました。

二階のためCS放送よりも不破さんの顔は小さくしか見えませんでしたが、やはり直接が一番でとても感動しました。

実は、19日付「しんぶん赤旗」日刊紙の一面に私の写真が写っていますが、小さすぎて「写っているね」と誰も言ってはくれませんでした。

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1月5日  衆議:長野:社民党:山口わか子氏(未評価)の新着リンク 


1月5日:4753:2004年の年頭にあたって(社民党県連合代表)


社民党長野県連合代表山口わか子
□今年は平和を願う人々にとって非常に厳しい年明けとなりました2002年同時多発テロから昨年のイラク先制攻撃で世界は一挙に軍事大国による戦争への流れが大洪水となって不安と死の恐怖にさらされました。

アメリカ追随の小泉政権によってテロ特措法、有事法制、イラク特措法の成立というかつてない憲法違反の法制定が連立する中で、11月10日の衆議院議員選挙では、国民平和への願いを無視し、圧倒的多数の保守二大政党が誕生しました。

戦後平和と人権を政策の中心にすえ、命の安全保障を常に訴えつづけた社民党は旧社会党以来半世紀たって最大の危機を迎えることとなり、崖っぷちすれすれでようやく踏みとどまっているのが現状です。

有権者である国民は決して戦争を望んではいない今回の選挙で憲法を改正し戦争のできる国にしたいから有権者は二大政党を選択したのではなく、自民党も民主党も憲法改正か論憲、創憲を掲げましたがどれも選挙の争点とはなり得なかったというより最大の焦点とはしませんでした。

また年金子育てなど国民が本当に必要としている政策はぼかされ、道路公団民営化や郵政の民営化が声高にマスコミを通じて最大の争点であるかのごとき宣伝がむしろ有権者の拒否反応を起こし、戦後二番目に低い59%という投票率という結果になりました。

国民の半分は自分たちの要求を満たす政党がなかったと言えます。

社民党の政策は具体的で国民の心に響く訴えにはならなかった点で、充分に厳粛に総括しなければなりません。

平和や人権、環境、命の安全を具体的に訴え、国民の心に響くことなしには、社民党の再建はありません。

勿論辻本問題や朝鮮拉致問題など社民党にとって不利な条件はありましたが最も大きな敗因は、労働者農民、商工業者、女性高齢者など日常の生活に不満や不安を抱えている人々への具体的な取り組みが不十分だったこと、若い人々に平和や命の尊さを訴えきれていなかったことです。

労働者があたり前に働き続ける条件を職場で地域で仲間を増やしながら作り上げていく運動なしには、現政権の弱者切捨ての政治をかえることなど到底できません。

2004年は、イラクへの自衛隊派遣や有事法制の実行版としての国民保護法制が姿を表します。

外交官の繰り返してはならない尊い犠牲をも無視し、戦争へと突っ走る戦後最大の危機を迎えることは確実です。

一方で国民の大半が不安と反対の声をあげる中で、二度と戦争に加担してはならない、憲法の精神をきちっと国民に浸透させる最大のチャンスでもあります。

小泉政権はことあるごとに「テロを許してははならない」と復興支援という名の自衛隊派遣を決定しました。

各地域の社民党は徹底して危険な戦争への道を許さない取り組みを具体化しなければなりません。

もうこれ以上自衛隊も民間人も勿論イラク国民も絶対に犠牲者を出さない反戦の運動を、そして世界に誇れる憲法擁護の運動を進めることをこの場所で確認しようではありませんか。

□運動の原点はなんといっても広範な市民を巻き込むことです2004年のもう一つの大きな課題は、小泉構造改革の総仕上げとして全ての公的な政策を市場原理に委ね、自分のことは自分で解決すること、出来なければ淘汰されても当然と徹底した弱者切捨ての政治に対決することです。

このままでは、たとえ景気が多少回復しても、労働者を犠牲にしての景気回復である以上、自殺者や自己破産雇用の切捨ては大手を振ってまかり通る社会になります。

また、市町村合併も弱者切捨ての総仕上げとして登場することになり、農山村はますます農地の崩壊環境破壊が進み、水や空気の再生産は不可能になる時期はそう遠くはありません。

人口が少なくても地域があり、人間が住んでいることこそ都会の人々の命を守っているということを忘れたら、日本の国はたちどころに滅びてしまいます。

たとえどこで暮らしていても、生きる権利はきちっと憲法が保障し、そのために法律で人々は生活教育を受け、介護医療が保障されるのです。

社民党の役割は命の安全、生きる権利、を実現させるために地域で運動を起こし育てていくことが重要です。

平和は黙っていては実現しません。

日本はアメリカ一辺倒ではなく、最も近いアジアの人々と平和安全構想を非地帯の実現を働きかけていくことが今最も求められており、社民党の果たす役割が大きいことを訴えることです。

勇気を出してどんなに小さくなっても300万人の期待を裏切らない行動を、決して戦争を起こさない努力を一歩でも進めることが社民党の決意です。


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1月4日:4132:年頭にあたって・・・


2004.01.05
■年頭にあたって平成16年という特別の年明けを迎え、あのときを思い出す。

昭和16年世界中を暗黒の政界に巻き込んだ第2次世界大戦のはじまった年である。

奇しくも同じ16年、またも私たちの国が復興支援という名の『戦争』に大多数の反対を押し切って、憲法を踏みにじりイラクへ自衛隊を派遣しようとしている。

小泉首相は、「戦争に行くのではないあくまでも復興支援だ」「自衛隊でなければできないから派遣するのだ」「戦闘地域かもしれないイラクに行くのだから多少の犠牲は仕方がない」と・・どう考えても正気の沙汰ではない首相の発言に、外交官の犠牲では懲りずに自衛官の犠牲も出るのではと、16年という年の幕開け早々不吉な予感がした人々は多かったのではないだろうか。

■悲惨な敗戦下の日本日本が敗戦を迎えた昭和20年、原爆を投下された広島、長崎を始め、焼け尽くされた東京の中心地には、住む家もなく、両親や兄弟を失った幼子やお年寄りが焼け跡の片隅で、駅の地下道で、飢えと寒さで死の恐怖と向かい合う不安な毎日を過ごしていた。

帰還した兵士たちの多くは、過酷な戦争という体験と恐怖で人間を見失ったように虚ろで生気を失い、とても人間の世界で生きているとは思えなかった。

そんな中を米軍の兵士が町中のいたるところに、武器をぶら下げ歩き回る光景は、「たとえどんな理由があったにしても自分の国に原爆を落とされ、大都市を中心に爆弾や機銃掃射で親兄弟を少なくとも数百万人も殺された憎い米軍」、それだけで子ども達に恐怖心と憎しみをもたらした。

当時の日本は、早く独立したい、一刻も早く米軍の駐留は止めて貰いたいと誰もが願い何をされても我慢しこらえ続けた。

自立平和を強く願うイラクイラクの現状と同じである。

しかもイラクは他国へ戦争を仕掛けたわけではない。

大量破壊兵器を隠していたという根拠もない理由から一方的に米英軍に攻撃され、多くの人々が殺され、家や学校、病院を破壊され苦しんでいるのだ。

復興支援という勝手な米軍の言い訳で駐留しても、イラク国民の憎悪はますます強くなってくる。

一刻も早くイラクから米英軍を引き上げてもらいたいことを強く望む声は、かつて敗戦の苦しみを味わった日本の状況と全く同じであり、イラク国民としては当然である。

3日には自衛隊が派遣されるというサマワで、10万人という最大のデモが起こった。

仕事をよこせという切実な要求だったが、ここでも幼い子ども高齢者が犠牲になった。

勇気を持って自衛隊のイラク派遣を止めようイラクが本当に望む復興支援をすることが重要であり、どんなことがあっても自衛隊の派遣を止めるよう皆で行動を起こすことしか平和への道筋はない。

もし不幸にして戦争に巻き込まれるようなことがあれば憲法は改悪され、堂々と戦争のできる国になることは明らかであり、その結果、不況はますます深刻になり、国家が大変な状況だから国民は我慢しなければならないという理由で、年金を始め社会保障は機能しなくなるばかりか、人権は無視され、教育基本法の改悪で子ども希望も打ち砕かれることになる。

戦争に反対するものは当然処分の対象になり、言論の自由は剥奪され、マスコミ戦争一色に染まる。

自衛隊員27万人では到底戦争はできないから当然徴兵制は確実に制度化される。

同じ16年というこの年の果たす役割の大きさは計り知れない。

世界中の子どもたちを戦争に巻き込む事だけは絶対にしない「武力によらない平和な世界の秩序づくり」をどう具体化するのか、平和は黙っていては決して実現しない。

愛と勇気と決断、広範な大衆行動があって初めて平和を勝ち取ることができる。


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