政治家・篠原 孝氏のホームページの評価と最新情報


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篠原 孝氏のホームページの最新書き込み、最新情報
篠原 孝氏のプロフィール
篠原 孝氏のホームページの採点は、未だ評価しておりません


篠原 孝氏のプロフィール

役職
議会衆議
政党その他
選挙区長野
議員以前の職
ホームページhttp://www.shinohara21.com/



篠原 孝氏のホームページの評価

総得点 : 未だ評価しておりません

評価日付: 


コメント 篠原 孝氏のホームページは、ただいま調査中です。

篠原 孝氏のホームページの最新書き込み、最新情報


篠原 孝氏のツイート
 

当人のホームページの更新内容 
 金子美登氏が9月24日74歳で突然この世を去られた。
氏とは40年前から有機農業の現場と行政・政治と活躍の場所は別々だが、同じ目標に向けて手を取り合い、共に有機農業の推進・食の安全の確保に心血を注いできた。
ずっと二人三脚で活動してきた友子夫人から弔辞のお話を頂き、28日(水)有機農業の実践の地小川町に赴いた。
 金子さんの軌跡は日本の有機農業の歴史そのものであり、いかに金子さんの存在が大きかったかを伝えたようとしたため、幾分弔辞としては長くなったがその内容を報告したい。

 今回の犯行は、国葬まで行われんとする大物政治家・安倍元首相を標的にしているが、政治的・思想的背景は何もなく政治テロとは呼べない。
母親が旧統一教会の熱烈な信者であることから、一見宗教テロのような錯覚に陥るが、イスラムテロなどとも全く異なる。
根底にあるのは「孤独」・「孤立」である。
世の中を恨む、孤独な一匹狼(ローンウルフ)の単独犯行である。
(資料)孤独・孤立テロ比較表.pdf

 私は、9月13日(火)両院議員総会(記者にも公開)において久しぶりに発言した。
立憲民主党になってからこうした場での発言は確か初めてだと思う。
(このブログは、9月13日に書き始めたが、15日にやっと執行部が欠席を決めた。
そのため少々ズレている個所もあると思うが、お許しいただきたい。
)<先に党が姿勢を明確に示し、後は個人の意思に任すのが普通ではないか> 国民を分断している国葬問題について、9月9日(金)岡田幹事長名で「なお、執行役員を除く国会議員の皆様の参列につきましては、皆様個々のご判断を尊重いたしたいと存じます。
執行部より何らかの要請を行う予定はありません」というなまくらな紙が送られてきた。
私はびっくり仰天した。
 これだけ国民的議論になっている件について、党として態度を明らかにしないというのだ。
何という本末転倒か。
コアの支持者にも保守リベラルにも両方に気を遣い過ぎて結論が出せないでいた。

 私は7月8日の安倍元首相が狙撃され重体いう報道に接した時に、一瞬血の気が引いた。
<60年振りの政治テロ> 政治テロというと、1960年17歳の右翼少年・山口二矢が日比谷公会堂で壇上の浅沼稲次郎委員長を刺した事件が思い浮ぶ。
今度は右翼の安倍元首相憎しと、左翼が狙ってテロ行為に及んだのだろうと思った。
選挙の最終盤に入って左翼テロが明らかになったら、ただでさえ自民党がリードしているのにそれに拍車がかかってしまう。
 事件は8日午前11時32分に発生している。
取り押さえられた山上容疑者は直ちに取調べを受け、どういう氏素性の者かすぐ分かっているはずである。
詳細な記者発表がなされない中、17時3分安倍元首相の死亡が発表された。

 本日はお忙しいところ、また、コロナ感染者が増え続ける第7波の最中にもかかわらず、我が盟友羽田雄一郎元参議院議員のお別れの会にご出席いただきまして誠にありがとうございます。
 まず、本会が開かれるまで雄一郎議員が亡くなられてから既に1年半が経ち、かなり遅れてしまったことをお詫び致します。
これは偏に新型コロナ肺炎で亡くなった故人を偲ぶ会でクラスター感染などを発生させるわけにはいかないとの判断から、延び延びになったことをお察しいただきたく存じます。

<SNSから始まった政治家と旧統一教会の関与騒動> 7月中旬、SNSに「やや日刊カルト新聞」の112人の旧統一教会関係国会議員リストが掲載され、夕刊紙等が書き立てた。
自民党議員が大半だったが、下記の6人の立憲民主党議員も入っており、私も2016年の会合に祝電を打った、とされていた。
ただリストをみると、自民党議員が大半で、献金、選挙手伝い等と濃密・濃厚度合いが違っていた。
 感心なことに我が事務所は、メッセージ・祝電の類も直ちにチェックできるようになっており、調べてみたが該当しなかった。
そもそも2016年に会合自体が開催されていなかったというお粗末な結果だった。

<なぜかTPPに取り憑かれた安倍首相> 16年秋、TPP特別委が設置されると、安倍首相は全ての委員会に出ると言い、事実その通りに出席しどおしだった。
異例のことである。
私は、野党の筆頭理事として十分な審議を進めるために汗をかいた。

<篠原さんは安倍首相と漫談> 我が党の真面目なベテラン議員からは「篠原さんは安倍首相と漫談しているようなものだ」と嫌味を言われた。
また、「篠原さんほど安倍首相にキツイことを言っている人はいない。
それなのに篠原さんにはカッとなって怒らない。
安倍首相は篠原さんの皮肉の褒め殺しの言葉を本気に褒められていると勘違いしているからではないか」などと失礼な解説をする同僚議員もいた。
安倍首相はユーモアのわかる人で、言い返しも上手くて、私とのやり取りをある意味楽しんでいたのかもしれない。
そして、私のこうした質問のファンも多くいた。
 私が相当どぎつい嫌味を言っても怒らなかったのは、私が一国のトップとして安倍首相に敬意を表しつつ質問していたからである。
言っては悪いが、最初からケンカ腰でワンワンキャンキャン喚かれては、まともに答弁する気にならないのも仕方あるまい。

 政権運営に汲々として漂流する民主党政権を尻目に、11年秋、自民党総裁選(安倍、町村、林、石原、石破)が行われ、安倍首相は総裁に復帰した。
私は長野駅前の演説会を遠くから見守っていた。
一方、09年08月の総選挙で308議席の大勝で政権交代を果たした民主党は鳩山、菅、野田と3人がほぼ1年交代で首相を務める。
安倍首相は消費増税、TPPと功名に走る野田首相を唆し、12年11月の解散に持ち込んだ。
民主党は57議席と大惨敗で、僅か3年3ヵ月で政権を自民党に明け渡すことになった。
 そして、この後に続く安倍政権で、私と安倍首相との国会論戦が度々行わることになった。
それを辿って追悼してみたい。

 06年9月、安倍首相は戦後最年少首相(52歳)として華々しく登場した。
この時点まで私との接点はなかった。
教育基本法を改正し順調な滑り出しだったように見えた。
(質問は、冗長な私の質問は短くしたが、安倍首相の答弁は大半そのままにして、生の声が伝わるようにした)<農業者戸別所得補償を無視> 私は民主党のネクストキャビネットの農林水産大臣を拝命し、農政を大転換する大胆な政策を作り上げており、それを引っ提げて07年の参院選を戦うことになっていた。
そして初顔合わせは07年3月の予算委員会である。



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