政治家・山下 雄平氏のホームページの評価と最新情報


  目次
山下 雄平氏のホームページの最新書き込み、最新情報
山下 雄平氏のプロフィール
山下 雄平氏のホームページの採点は、未だ評価しておりません


山下 雄平氏のプロフィール

役職
議会参議
政党自民
選挙区佐賀
議員以前の職時事通信社,日本経済新聞社
ホームページhttps://www.yuhey.jp/



山下 雄平氏のホームページの評価

総得点 : 未だ評価しておりません

評価日付: 


コメント 山下 雄平氏のホームページは、ただいま調査中です。

山下 雄平氏のホームページの最新書き込み、最新情報


山下 雄平氏のツイート
 

当人のホームページの更新内容 
 日本の調査捕鯨を妨害し、威力業務妨害などの容疑で国際手配されていた反捕鯨団体「シー・シェパード」の元代表、ポール・ワトソン容疑者について、拘束していたデンマークが日本への引き渡しを拒否して釈放しました。
 デンマーク政府の許し難い行為を受け、自民党の『捕鯨対策特別委員会』(鶴保庸介委員長)は、日本の外交姿勢とデンマークとの関係を検証するよう求める決議をまとめ、小野寺五典政務調査会長に申し入れました。
 日本の海上保安庁は2010年、国際刑事警察機構(ICPO)を通じてワトソン容疑者を国際手配していました。
今年7月、デンマーク領グリーンランドで現地の警察に拘束され、日本政府がデンマーク側に身柄の引き渡しを求めていましたが、デンマーク司法省は今月に入って釈放しました。
 法と証拠に基づいて行った日本の要請を無視したデンマーク政府は法治国家としてあり得ないと思います。
私は党捕鯨対策特別委員会の事務局長を務めて

 大串博志さんから文書が送られてきました。
以下にその文面を全文を掲載するとともに、私の再反論を書きたいと思います。
――――――――――――――― 参議院議員 山下 雄平 様 山下雄平参議院議員がブログ上(以下、「本件ブログ」といいます。
)において、「大串さんが行っている行為は公職選挙法上の違反文書の頒布・掲示に当たる可能性があります。
」などと事実無根の指摘をしている件について、厳重に抗議するとともに、虚偽事実の公表に該当するため、直ちに削除を求めます。
本件ブログで指摘のある行為はいずれも公職選挙法上適法な社会的儀礼としての慶弔に際して挨拶文を送付する行為で、違法との指摘を受ける根拠はありません。
掲示の有無や紹介は当然主催者側に委ねられているものです。
社会通念上の儀礼的な送付を行ったことのみをもって、私が法定外文書の頒布・掲示を行なったという虚偽の事実を公表したことは全く許されるものではありま

 先週末はお祭り・祭事、運動会などのイベントが佐賀県内各地で開催されました。
私が把握しているだけでも80件ほど行われました。
衆院選の期間ではありますが、選挙応援の予定をやりくりしてそのうちのいくつかに出席いたしました。
 その際に何人もの方から次のようことを言われて答えに困ってしまいました。
「大串さんは祝電をくれているのに、なぜ古川さんのはないのか」と。
見ると、神社の本殿や公民館、本部テントなどに『前衆議院議員 大串博志』と書かれたお祝い文書が掲載され、主催者や神職の方から文面が披露されていました。
私が調べた限りでは大串博志さんのお祝い文書が多数の行事に届いていました。
 私が住む衆院佐賀2区では、立憲民主党の大串博志さんと自民党の古川康さんが鎬を削っています。
衆院選中に片方の候補者からしかお祝いの文書が来なかったら、「大串さんは古川さんに比べて熱心だ」と思う人がいてもおかしくありません。
 

党首選を考える 2024-09-08 13:36:42

 自民党の総裁選が9月12日告示、27日投開票の日程で行われます。
実際に何人の方が立候補されるかは分かりませんが、過去最多の候補者になるのは間違いないようです。
 立候補には国会議員20人の推薦人が必要で、私も何人もの方から「推薦人になって欲しい」とお願いされました。
私は過去の総裁選では推薦人になったこともありましたが、今回はどなたの推薦人にもなりません。
自民党と日本を再生させる総理・総裁は誰なのか、論戦に期待したいと思います。
 合わせて、昨日、9月7日に告示された立憲民主党の代表選にも注目しています。
解散総選挙が近いと言われる中で、野党第一党の党首が誰になるのかは今後の日本を左右します。
 その立憲民主党代表選で信じられないことが起きていました。
推薦人に名を連ねた国会議員が別の候補への支持を表明したり、別の陣営の出陣式に出席したりしていたのです。
意中の候補がいるのに、続きをみる『著作権保護

能登はやさしや、土までも 2024-02-02 21:15:38

『能登はやさしや、土までも』 岸田総理が施政方針で述べられたように、昔から石川には「能登はやさしや、土までも」という言葉があります。
総理が「外にやさしく、内に強靱」と表現されたごとく、純朴で我慢強く、互いに支え合って生きていた能登の人々の優しい気持ちは、その土にまで深く染み込んでいるという意味でしょう。
 しかし、一説には「やさしや」は「やせしや」、つまり痩せているという意味ではないかとも言われております。
日本海に突き出した能登半島の厳しい地理的条件、自然条件の中で過疎化が進み、高齢化率も半島先端の珠洲市では50%を超えております。
 敢えて申せば、能登は地震前から厳しい土地柄でありました。
みなさま、能登はもちろん石川県にあります。
しかし、石川県にだけあるのではありません。
全国の半島、離島、そして人口減少や高齢化に悩続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。
』。

 自治大臣や自民党の政務調査会長、国会対策委員長などを務められた保利耕輔先生の葬儀が都内で行われました。
 岸田文雄内閣総理大臣や額賀福志郎衆議院議長、福田康夫元総理など300人もの方が参列されました。
 葬儀が始まる前に車椅子で駆け付けられた森喜朗元総理は「青木(幹雄)さんにも保利さんにも先に逝かれてしまった」と別れを惜しまれていました。
 麻生太郎副総裁などの弔辞から、保利先生のありし日の姿が思い出されました。
麻生副総裁の弔辞: 保利先生は私の選挙区福岡県の隣、佐賀県唐津を地盤とされていて、昭和54年の当選同期でもありました。
 初当選間もない頃、先生や私、佐藤信二先生など、親や爺さんが総理大臣や議長といった役職を務めた議員の当選祝いを藤波孝生先生にしていただいたことがありましたが、それがご縁でお付き合いが始まったと記憶をしております。
 先生と私は実業界の経営者から政界入りをした数少ない議員でし

 文部大臣や自民党の政務調査会長などを務められた保利耕輔先生がご逝去されたと自民党本部が発表しました。
亡くなられたのは11月4日午後でしたが、ご遺族の意向で13日の発表となりました。
私もご遺族の思いに従い、公式な発言を控えていました。
 お父さまの保利茂元衆議院議長の急逝を受け、保利耕輔先生が衆議院議員となられたのは昭和54年10月のことです。
私は昭和54年8月に佐賀県唐津市で生まれたので、物心ついた頃から地元の代議士と言えば保利耕輔先生でした。
 文部大臣に就任されたのは私が小学4年生の頃。
「学校のルールは地元の先生がつくっているんだ」と幼心に誇らしく思ったことを覚えています。
 同じ大学・学部・学科に進み、政治記者として番記者を務めるというご縁をいただきました。
筋を通す、真面目な人柄を側で見てきました。
 2009年の衆院選で自民党が野に下った時、自民党に与えられる唯一のポストの『衆議院副

参院幹事長の箴言 2023-10-30 23:49:25

 参議院の代表質問が行われ、自民党からは世耕弘成幹事長が登壇されました。
 世耕幹事長は岸田文雄内閣総理大臣に対して「是は是、非は非」と参議院らしい質問をされました。
 同じ党だとしても国民の声を届けるのが国会議員の役割です。
政権を支える立場であっても率直な意見を言っていくことが国家をより良き道に導くことになると思います。
【世耕幹事長の質問一部抜粋】  支持率が向上しない最大の原因は、国民が期待するリーダーとしての姿が示せていないということに尽きるのではないでしょうか。
リーダーの役割とは何か。
サラリーマン時代からずっと私は自分自身に問いかけ続けてきました。
上司や先輩の言動を見つめ、過去の偉大な政治家や経営者が残した言葉から学び、そして自分自身の数多の失敗から教訓を得て、私なりのリーダー像を作り上げてきましたが、まだ道半ばです。
 いや、永遠に完全な答えを得ることはないでしょう。
岸田総理ご自身は、

同期との思い出 2023-09-04 14:34:11

 以前、参議院同期の島村大さんから「雄平ちゃん、明日の会議に俺の代わりに出てもらえないか?」と声を掛けられました。
「いいですよ。
その時間帯になにかあるんですか?」と聞くと、「母校の東京医科歯科大学の評議員をやってて、うちの学校と雄平ちゃんの学校(慶應大学)の合併に向けて調整していて、どうしても大学に行かなくちゃいけないから、明日の会議には出られなくて…。
慶應のためにもなるから宜しく頼むよ」と言われました。
 国会に限らず、本当にいろんな場所で汗をかいていました。
「島村さんが亡くなったのではないか」と耳にした時、信じられず、嘘であって欲しいと携帯に電話をしましたが、あの優しい声を聞くことは続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。
』。

元参議院農林水産委員長 2023-08-29 15:00:16

 官房長官や参議院議員会長などを歴任された青木幹雄先生のお別れ会が今日(29日)、都内で開かれました。
 20年ほど前、青木先生のご地元・島根県の隣、鳥取県に私が時事通信記者として勤務していた頃、中海や山陰自動車道などの課題をめぐり青木先生の力を感じる場面が多々ありました。
謦咳に接するようになったのは私が参議院議員になってからでした。
青木先生は既に国会議員を引退されていましたが、折に触れて続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。
』。



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