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/あああ (08/06/07(Sat) 02:29) [6264] |
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親記事 / 返信無し
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□投稿者/ あああ -(2008/06/07(Sat) 02:29:52)
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例えば、環境対策の国際規格にISO14000シリーズがある。
10年程前は、取得している企業も少なく、第三者的に見て「感心」していた。
いざ、自分の会社も取得となると、馬鹿馬鹿しい側面を目の当たりにする。
良く言われる様に、日本古来の「もったいない」精神の方が、遥かに環境にやさしい事がわかる。
つまり、重箱の隅をつつき、都合の良い課題を取り上げ、何らかの改善目標を掲げる。 そして、マニュアル化され、書類で管理し、記録している事が証明できれば良い。
つまり、極端に言えば、中身は空っぽでも、書類さえあればO.K.なのだ。
それでも、ISOを維持するには莫大な投資と、人的負担が大きく、組織内には「ISOさえやってれば良い」と言う概念が横行する。 個々人の無責任化を促進するシステムであり、また、役割分担が明確化されることから、自分の庭だけ守り、責任は他に押し付ける。 そういう風土を作り上げる結果となる。
やや極端な部分もあるが、概して、「ISO」とはそういうものだ。
これは、品質規格のISO9000にも言える。
本当に、ISOで品質向上するのだろうか? むしろ、従来日本企業が持ち合わせていた高品質を損なう方向に行くのではないかとさえ感じる。
しかし、一旦、それが正義だと言う社会通念が固まると、それに意義を唱えるものは悪とみなされる。
この風潮はISOだけの話ではない。
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