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NO.4019
徳島県知事候補 篠原滋子氏 女性だけのソフトウェア会社の女所長が徳島県知事に立候補 |
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□投稿者/ 管理者 -(2003/04/23(Wed) 22:18:15)
□U R L/ |
女性だけのソフトウェア会社の女所長が徳島県知事に立候補
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20030421ia26.htm 大田正・前知事(59)の失職に伴う徳島県知事選(5月18日投開票)で、コンピューターソフト会社・現代情報研究所(東京都港区)所長の篠原滋子氏(63)が21日、立候補の意向を固めた。
ビジネス社会の現場で苦労した人のようです。 狭い県庁の中だけで羽振りを利かせてきた役人出身者議員より、現実認識と実行力がありそうです。
どんな政策を掲げるのか楽しみです。
篠原滋子氏の苦労 http://www.miraikan.go.jp/kyaria_kaihatsu/057_02.html 私が社会人になったころは、女性に対する門戸は全く開かれていなかったので、とにかくやる気がある人だけが社会に出ていた。 女性は採用するつもりはないが、採用試験を受けるのは構わないというスタンスの会社でも、女性がたくさん応募していた。 そのくらい厳しい時代だったから、どうやって社会に出ていくのかが問題で、社会に出ている人は、ものすごく意欲があった。 会社を起こした時もそれ自体が本当に珍しいことだった。 だから世間に対してすごく気負いがあった。 会社は絶対に倒産させない、「それ見たことか」と言われないように、かなり真剣に始めた。 最初の1年は、テレビのニュースすら見ずに、会社経営だけをやっていた。 ところが、会社は借入金0円でわずか1年で軌道に乗ってしまった。 今思えば、3年は大丈夫だったというわけだが、3年までもやはり大変だった。 崖をよじ登る思いで、下を見ていたら落ちてしまうから上だけを見て、登っていった。 会社は最初から15名で始めたが、すぐに25名になり、はっと気がつくと、この25名の会社をどのようにしてやっていくかということが3年目までの苦しみだった。 3年を超えた頃から、少し余裕が出て、策を練ったりもするようになった。 会社を始めた20年前は、パーソナルコンピュターができて3年目の時代。 プログラムを作るにも、パソコンを見たこともない人がたくさんいたし、そのプログラムなんてどうやって作るのだろうという状況だった。 だんだんそういった分野のこともわかり、余裕が出てきたのは7年目の頃だったが、そこからまた13年目までが、一番きつかった。 嫌なことや迷いがたくさん出てきたのが、7年目から13年目で、それを過ぎてからは、迷いもほとんど修正し、自分らしくなってきた。 そこからは非常に楽になった。 今、振り返ってみて、とにかく20年間倒産させずに続けてこられたのは本当によかったと思う。
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