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NO.5860
宮崎県延岡市 市政運営に組み込まれた選挙準備 |
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□投稿者/ 松下 潤治良 -(2011/08/03(Wed) 12:40:58)
□U R L/ |
市長は、その身分を4年間しか保証されない。 当然のことだが、ほとんどの市長が次の選挙でも勝利したいと願う。 その市長の対応は善悪二つに大別されるだろう。 善い市長は有言実行の「結果」によって勝利する事を願う。 一方、悪しき市長は次の選挙を第一に考え、その勝利を「目的」とする市政を行う。 その目的のために、選挙の戦略・戦術を市政に組みこむ。 具体的には「対話集会」などを盛んにし、選挙人である市民と触れあう。 さらには、自分の名前と顔を市民の脳裏に焼き付けるために、パフォーマンスや「広報活動」に力を入れる。 「最大の目的は、市長の地位を享受すること」であり、市の発展や市民の幸せは二の次、三の次になる。
延岡市北方町で7月26日、首藤正治市長が一日かけて町内を回り、各地で住民と触れあう「移動市長室『こんにちは!市長です』」を行った。 町内8ヶ所で対話集会を実施し、「困っている事はないか」と要望を聞いて回り、中央公園では住民たちとグランドゴルフを楽しんだ。 首藤市長はこの催しの目的を「住民の声を聞き市政に反映させるため」と言う。 真意だろうか。 今回の住民の要望「公園に隣接する駐車場を開放して」などは、地元区長や地元議員が要望を把握し、その都度、市の担当課との間で対処されるべきで、「市長さんが要望に応えてくださった」という形にすべきではない。 族議員が選挙狙いで地元の要望を受ける図式と同じである。 首藤市長が住民たちとグランドゴルフに興じるのも選挙を意識した人気取りだろう。
一方、市の広報担当が市民たちと交わる首藤市長の姿をカメラに収め、HPや広報誌に掲載・広報する。 市長を取り囲む住民たちの集合写真が撮られ配布される。 市から日程の連絡を受けたメディア・報道機関が、職員たちを従えた市長の町内巡幸を報道する。 毎年・終日の市長と住民たちとの対話集会。 どれほどのコストパフォーマンスや公益性があるのだろうか。 市長が地域の実情把握のために住民と触れあい意見交換する事は必要だろうが、それは必要最小限にすべきである。 地域の実情を把握し、市政へ反映させる実務と責任は、市長ではなく担当部局にある。 必要以上に多くの住民と触れ合う行為は、次回選挙の対策だと疑われてもしかたがないだろう。 「できるだけ多くの市民と触れ合う」。 これが選挙必勝の要諦だからである。
首藤市長が創設した「移動市長室『こんにちは!市長です』」は、市民のためではなく、首藤市長の個人的利益、即ち選挙のためものではないか。 結論を言えば、『こんにちは!市長です』は、市政運営の中に混交された「首藤市長の、首藤市長による、首藤市長のため」の選挙運動である。 そう断じるのには訳がある。 この「移動市長室」が生まれた経緯を振り返る。 首藤市長は平成22年2月に再選を果たした直後、職員に対し「市民の痛み、悲しみ、苦しみを皮膚感覚で感じてほしい」と訴えた。 この言葉は、そのために必要な公聴事業『こんにちは!市長です』の創設に狙いを定めた戦略的な布石だった。 4月には、「公聴広報係」を新設し、市長自身が公聴広報を行う『こんにちは!市長です』がスタートしたのである。
ところで、首藤市長はこの選挙運動『こんにちは!市長です』を2期目から、合併した旧3町(北方、北浦、北川)を対象に始めたのだが、1期目の選挙運動はどうだったのか。 市長選時の宮崎日日新聞記事(H22.1.22)から引用する。 「平成18年の『初当選直後』から2期目を見据えていた首藤市長は、合併した3町の祭りや行事に足を運び、各町に後援会支部を設立。 ミニ集会や全体集会を開いてきた」。 選挙一辺倒の首藤市長の一端を見る。 人一倍頭が良い首藤正治市長は従来型の「私」的な選挙活動に加えて、「公」的な公務一体型の『こんにちは!市長です』を創案・創設し、公私二本立ての選挙態勢を確立したのである。
このような事例は他にもある。 @市長就任から6年間、今も実施中の「まちづくり懇談会」。 これは、市長が各地に建設した「まちづくりセンター」に多くの市民を集めて行う、要望・対話集会である。 これも、公務に組みこまれた選挙活動である。 A「皆さんと夢を共有したい」とした詐称「新生のべおかプロジェクト」。 先の選挙戦では1年間、これを基に市政一体の選挙活動を行った。 そして自身の評価を上げるために、職員たちの通常業務の全ての実績を詐称プロジェクトの成果だと偽装・広報した。 今も偽装が行われている。 (広報のべおか2月号、市のHP) http://www.janjanblog.com/archives/26452
首藤正治市長の悪質性は、個人の時間・個人の資金で賄われるべき選挙活動を、狡猾・巧妙に市政運営の中に混ぜ込み、公的時間・公的資金で賄っている事である。 現職の立場を悪用し、「市民協働」などの名の下に、市長と市民が触れ合う事に大義名分を与え、そうした場を数多く作り出している。 国会議員は選挙が近くなると、対話集会「国政報告会」を開き、祭りや行事に顔を出す。 こうした活動を首藤市長は当選直後から4年間に亘り、広範囲かつエネルギッシュに継続する。
「市民協働」とは「『行政』と市民」の協働を意味するのだが、首藤市長はこれを「『市長』と市民」の協働へと変質させ、市民や報道機関を巻き込んだ「市政一体の選挙活動」を堂々と行っている。 引き続き、市長という地位を「享受」するためである。 首藤正治延岡市長の言動や施策は、裏側で『選挙対策』という「文脈」で繋がっている。 「水を発見したのは魚ではない」と言う。 首藤市政の異常さを延岡市民が発見するのは困難なのだろうか。
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