参議:比例:公明党:遠山清彦氏 共産党と徹底抗戦中 http://www.toyamakiyohiko.com/dm.files/contents.files/2003/0304/contents030425.html
日本共産党などはデマを垂れ流したり、虚偽・誇大宣伝などを行いつつ、非難中傷を展開しています。 しかし、その共産党自身は、今日まで全くといっていいほど、公約を実現したことがない政党です。 地方議会においても、国会においても、政策実現のために欠かせない予算案に常に反対しているわけですから、実績などあるはずがありません。 ところが、実績がないと選挙が戦えないということで、やってもいないことをやったと宣伝したり、他党の実績を横取りしたりして、顰蹙を買ってしまっているのです。
これが、先日の統一地方選前半戦で惨敗した根本理由であることを直視すべきです。 自分たちの敗戦理由を「反共攻撃」のみに収斂させているのは、誠に見苦しいと思います。 特に、共産党の現執行部は、この3年ほどの選挙の連戦連敗について、責任をとって退陣してしかるべきなのに、赤旗などの機関紙をみると「運動量が足りない」などと、あたかも同党の一般党員の活動不足が敗因であるかのように書いています。 これでは、現場の共産党員もやりきれないでしょう。
こういうことを言うと、共産党は、「野党の存在を否定する、議会制民主主義の否定だ」などと反論してきます。 しかし、これは的外れな反論です。 野党として政府与党を特に政策の次元で批判するのは、大いに結構です。 しかし、同時に自らが「公約を全く実現してきていない」という事実もしっかり国民に明示し、反省すべきところは反省すべきではないでしょうか。 独善的唯我独尊的態度で、できもしない公約を選挙の度に叫んでいても、もう国民は見向きもしないということを自覚すべきです(どうせできない公約を掲げるんだったら、「月面にディズニーランドをつくります」くらいのことをいった方が、面白いのではないか、と私の友人が言っていました)。
それから、議会制民主主義の件ですが、これには笑ってしまいます。 共産党は元来「民主集中制」を理想としていたのではなかったのでしょうか。 民主集中制とは、一般的には聞きなれない言葉ですが、「プロレタリアート(労働者)独裁」などと同じことを意味すると思われます。 労働者の独裁とは、どういうことでしょうか。 結論的に言うと、共産党が政権をとった場合、形式上政府や議会があっても、労働者の代表たる前衛政党の共産党が「すべてを仕切る」独裁権力体になるということです。 つまり党に権力を集中させるのです。 議会はあってもいいのですが、なくてもよい。 とにかく、共産党という一政党が国家全体をコントロールする体制を目指しているのです。 ちなみにこれは曲解でも難癖でも何でもありません。 事実冷戦時代の共産国家の盟主ソビエト連邦の政治体制は、このようなものでした。 先例があるのです。
そう考えると、共産党が「住民が主人公」というキャッチフレーズで選挙を戦っていることは、空恐ろしいことに見えます。 この「住民」は「労働者(プロレタリアート)」のことであり、それはすなわち「労働者の代表たる共産党」を意味すると解釈してもあながち間違いではないからです。 ですから、「住民が主人公」というキャッチは、実は「共産党が主人公」と言っているのに等しいのです。
それにしても、共産党が選挙でこれだけ惨敗したのに(少なくとも表面的には)、全然こたえていないように見えるのは不可解です。 しかし、ふと考えてみると、同党は選挙で多数派を占めて政権を取るという手法を前提としていない組織であることに思い当たりました。 どういうことかといえば、共産党は選挙という民主主義的手法よりも、「革命」(場合によっては武力闘争も排除しない)という手法を、今でも権力奪取の方法として最重要視しているということです。
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