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政治家ホームページ評価
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今回の五輪元理事とAOKIの役員の逮捕されました。
その流れをみると、日本に五輪を誘致するためでなく、国内の事業者を五輪運営のために指名することで、元理事の私服を肥やすというもの。 それと、これで終わるのだろうか。 まだ、闇があるようでなりません。 もちろん、これまでもIOCがらみで誘致合戦が行われ、世界各国で金銭がらみで様々なやりとりがあり、話題となってきました。 それが、今回は、五輪続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。 』。
現在、日本の新規感染者数は世界一になり、死亡者数も世界で四位に。
欧米ではほとんどの国民がマスクをしていない。 なのに、マスクをしている日本がなぜ世界最悪なのかを探求する必要があります。 一方、医療現場はお盆休み返上で患者と向き合っています。 保健所も休日返上で頑張ってくれています。 また、自宅療養者も154万人となっています。 中には軽症や無症状の人もいますが、入院が必要なのに、入れない人も数多く、やはり野続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。 』。
終戦の日。
今朝はいつも通り、4:30起床。 風呂に入り、新聞、ネットをチェック。 5:30に自宅を出て、6:20から大泉学園駅に90分立ちました。 そして、靖国神社へ。 毎年、私はこの終戦の日に参拝しまいりました。 区議の時代から32年間、2回を除くと毎年欠かさずにこの日に。 先の大戦で、国のために戦い、犠牲になられた続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。 』。
今回の中国がミサイル5発を日本のEEZ内に撃ち込んだ件は、断じて許してはなりません。
米ペテシ下院議長が台湾を訪問したことへの報復演習としても、日本の在日米軍への威嚇としても、漁業権のある200カイリには日本漁船も航行しており、与那国島からはわずか80キロのところに被弾しています。 しかも、そのミサイルは、極超音速ミサイルで、音速の5倍の速さと捉えにくい弾道を描く代物。 万が一の時、イージスアショアは迎撃できるのか、米軍の迎撃ミサイルは適切に撃ち落とせるのか。 目下のところ、日米同盟に頼るしかないわけですが、まさに尖閣、沖縄が戦場になります。 また、現下の平和安保法制のものと敵基地攻撃能力はどこまで確実なのか。 この敵基地攻撃能力は名称を反続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。 』。
こんにちは。
竹谷とし子です。 暑い日が続きます。 皆さま、どうぞ熱中症にならないように、くれぐれもお気をつけください。 昨日、皇居で認証式が行われ、復興副大臣を拝命いたしました。 初当選の8ヶ月後に発生した東日本大震災。 東京から50回以上復興支援に通いました。 副大臣として主に、原発被災地域を担当します。 現場に足をはこび、誠心誠意、課題解決にとり続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。 』。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220810/amp/k10013763871000.html 第2次岸田改造内閣 正式に発足 | NHK【NHK】岸田総理大臣は10日、内閣改造を行い、第2次岸田改造内閣が夕方、正式に発足しました。
www3.nhk.or.jp 本年8月10日に、1年間務めた自民党青年局長を辞して、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、共生社会、男女共同参画、女性活躍、孤独・孤立対策)を拝命しました。 官邸からの呼び込みと総理からの伝達、皇居での認証式、初閣議・記念撮影、大臣記者会見と全てが初めて尽くしの1日となりました。 こども政策は、岸田総理が称した「政策断行内閣」の(コロナ対策、新しい資本主義等の)5本柱のひとつとなっています。 来年4月には「こども家庭庁」の設立が予定され、子どもの貧困対策、子どもの子育て支援、児童虐待対策などのこども政策に関する総合調整機能を一元化する司令塔機能を担うことになります。 省庁間の縦割りを廃し各々の隙間を埋め、こどもの最
竹谷とし子です。
8月6日を前に、広島へまいりました。 公明党青年委員会と地元議員が中心となり、平和記念資料館を訪問。 その後、原爆死没者慰霊碑と韓国人原爆犠牲者慰霊碑に献花しました。 公明党創立者の池田大作SGI会長が、来週8続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。 』。
今日は私が政治の世界に入ってからの大恩人とも言える方のお別れ会がありました。
最初に出会った時のことから、亡くなる数日前に最後に交わした会話までの記憶を鮮明に思い出して涙が止まりませんでした。 過去4回の選挙全てで最前線で戦ってくださり、昨秋の選挙では病身を押して連日選挙事務所で檄を飛ばしてくれました。 当選の瞬間には無意識に真っ先に抱き合いました。 今思えば、それまで照れ臭くて出来なかった最初で最後の抱擁となりました。 総務大臣政務官になった時も人一倍喜んでくれましたが、「俺が座りたいのは小倉君の大臣の椅子だ」と言って後援会で只一人見学に来るのを拒んでいまし続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。 』。 |